2005年 05月 31日 ( 1 )

沖縄編(8):本島(03.8)

 摩文仁から高速道路で一気に北上し、「安保の見える丘」へ。沖縄の人々から広大な土地を奪って米軍が建設した嘉手納基地を一望できる小高い丘のことです。今回はそのそばにできた「道の駅」から嘉手納基地を眺めました。出発を待つ飢えた狼のような軍用機と壁を一つ隔て、その影に苦しめられながら平和な暮らしを希求する人々の住む家々。議員・官僚の方々は、一週間でいいからぜひここに住んで凄まじい戦闘機の轟音とともに暮らしてみてはいかが。
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 そして一路西へ、読谷村へ向かいます。この村について少し話がしたいのです。読谷村の人口は約3万8千人(04.4)、沖縄県の条例では人口が8千人を超えると町に「昇格」する資格ができるのですが、読谷村は町になろうとしません。前村長の山内徳信氏は「個々の住民と最も近い関係にある『村』という行政単位こそが地方自治の原点だ」と語っています。この志をずっと掲げ続けているのですね。町村合併とは真っ向から対立する発想です。そして山内前村長は、米軍基地返還のためにしたたかに粘り強く戦った方です。彼は村の中央に居座る読谷補助飛行場の返還を米軍に求めるために、日米地位協定にある「軍民共同使用」という方法を選択します。「米軍が使用していない時は、住民がそこを利用できる」ということですが、山内前村長は建物を建ててはならないという項目がないことに着目しました。そこで飛行場敷地内(!)に「平和の森球場」とポールや夜間照明用の鉄塔を次々に建設し、米軍のパラシュート訓練がやりづらい環境をつくってしまいます。さらには村役場新庁舎まで飛行場内につくります。また福祉施設など人の集まる公共施設を、あえて飛行場の敷地すれすれの所につくり、米軍と日本政府に基地の危険性を日常的に意識させ続けたのです。現在、読谷村の米軍基地は真綿で首をしめられるようにじょじょに縮小されているとのことです。
 というわけでこれは行かなくては。なるほど米軍の影も形も見えない広大滑走路の脇に、球場と村役場が誇らしげにたっていました。門柱には「平和の郷」「自治の郷」と刻まれています。以下、山内徳信氏の言葉です。
 魯迅の小説のなかに「喰われる者は喰う」という言葉がある。村長である私が米軍や日本政府や安保に喰われてしまったら、私は職員や村民を喰うしかない。絶対にそうあってはならない。私の信念です。
 全国の自治体の首長室に額に入れて飾って、毎日百回読誦して欲しい言葉ですね。特に、職員を喰いものにしてはならないという部分に、氏の識見を強く感じます。
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 本日の一枚は嘉手納基地です。
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by sabasaba13 | 2005-05-31 06:11 | 沖縄 | Comments(0)