2005年 09月 28日 ( 1 )

「観光コースでないウィーン」(2)

 こうした数々の事件の記念碑・モニュメント・プレートがウィーンには多数あり、それを紹介しているのがこの本です。皇太子フェルディナントが乗っていた弾痕が残る車と血染めの服は、軍事史博物館で展示されています。これはガイドブックに載っていたので見てきました。「赤いウィーン」の時代に住宅難解消のため郊外に建てられた集合公営住宅カール・マルクス・ホフも見てきましたが、ここが二月十二日事件の銃撃戦の舞台となり、記念のプレートがあることは知りませんでした。(ベートーベンが住んでいたハイリゲンシュタットのすぐ近くです) またホテル近くにあった記念碑が気になったので写真を撮っておいたところ、この本でその由来がわかりました。ここモルツィン広場はゲシュタポ本部があったところで、ナチスに抵抗した人々が収容され処刑された場所だったのですね。上部に「二度と忘れない (NIEMAL VERGESSEN)」と刻まれ、その左にある逆三角形は政治犯、右にある黄色の星はユダヤ人がつけなければならなかったマークを表しています。
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 他にも、「水晶の夜」の清掃を行わせられたユダヤ人をあらわす、鉄条網でしばられ這いつくばって道路を清掃する銅像、あまりにも巨大なので取り壊せないアウガルテン庭園にあるナチス時代の高射砲台、シュテファン教会の右壁に刻まれた「05」という数字が紹介されています。オーストリアはOesterreichとも表記されますが、ゼロはOを、5はアルファベット五番目のeをあらわす、つまりオーストリアの独立、ナチスへの抵抗を意味する暗号なのですね。
 また「サウンド・オブ・ミュージック」の主人公トラップ大佐は実在の人物で、民主主義を弾圧したオーストロ・ファシズム支持の立場からナチスに抵抗したという衝撃の事実も知りました。

 やはり前もって学んで知っておかないと歴史は見えてこないと痛感しました。もちろんただその場所を見て写真に取っておしまいというのもまずいと思いますが。またいつかウィーンには行きたいので、ぜひ徘徊彷徨の参考にしたいと思います。このシリーズでは他にマレーシア・シンガポール、フィリピン、グアム・サイパン、アフリカ大陸西海岸、東京、沖縄、韓国、香港、ベトナムが発刊されています。当該国に行く時は、購入して座右に置くつもりです。
 そして思ったのは、戦後日本との共通性・類似性ですね。戦争犯罪に多くの人が加担したその後ろめたさ、あるいはそれによって利益を得たことを隠蔽したいという気持ちから、過去を克服せず忘れようとする… 「オーストリアでは、1980年代のはじめまで、第二次世界大戦の歴史について学校で教えることはほとんどありませんでした。第二次世界大戦までいかずに、1930年代の前半までで授業が終わってしまうこともありました。」という記述が文中にありましたが、私も学校の授業で第二次世界大戦の歴史を教えられた経験は皆無です。この時代が入試問題としてあまり出題されないという理由だと思います。あえて入試問題として出さないことにより、この時代の歴史を学生に教えさせず、間接的に教育内容をコントロールしようとする教育行政の謀略かな、と邪推します。
by sabasaba13 | 2005-09-28 06:08 | | Comments(0)