2006年 02月 10日 ( 1 )

「見知らぬわが町」

 「見知らぬわが町 1995真夏の廃坑」(中川雅子 葦書房)読了。以前、大牟田で三池炭鉱物件めぐりをしたのですが、準備不足で物足りない思いが残っていました。あるブログでこの本を知り、さっそく購入、一気呵成に読んでしまいました。当時大牟田の高校に在学していた著者は、坑内に資材を搬入する巨大な櫓を見て「何なのだろう?」と疑問に思い、夏休みを使って三池炭鉱の関連施設や囚人墓地を自転車で見て回ります。図書館で文献を調べながらまとめあげたレポートが、その後「日刊大牟田新聞」で連載され、本書となったわけですね。
 調べていくうちに、著者は囚人労働に特に興味を引かれます。「三井財閥は三池炭鉱における囚人たちの人柱によって築かれたと言っても過言ではない」 さらに自らが住む大牟田という町も、囚人の命を犠牲にして繁栄したと思い至り、忘れ去られた囚人墓地を何とかして見つけようとします。地図や文献で調べ、炎天下(大牟田の夏は暑いでしょうね)自転車をこぎ続け、立入禁止区域に忍び込み、草むらに分け入り、地元の人に訊ね、摩滅した碑文を読み解く。私もそういうことは大好きなのですが、己の中途半端さを痛感しました。著者のこの熱意と執念には頭が下がります。それを支えたのは「誰かを犠牲をして今の自分の暮らしがある。せめてその事実を知り犠牲者を追悼しなければ」という思いですね。缶ビールと煙草を囚人墓地に供えて黙祷する場面では、胸がジーンとしてしまいました。
 また暴風で飢饉にみまわれた与論島の人々をあえて採用し、彼らが周辺住民に差別されることを利用して、低賃金で恒久的に働かせようとした三井の方針にも目を配っています。著者の曽祖父・曾祖母がその中にいたのですね。与論島出身の人たちが住んでいた社宅はすでに消え失せているのですが、著者は何とかして見つけ出そうとこう呟きます。
 八月十二日、私はふたたび新港町を訪れた。「跡形もない」わけがない、と思い直したからだ。
 素敵な言葉をいただき感謝します。そうですよね、人間の営みは必ずその跡形を残すと信じます。そしてそれを見つけるためには、知識と感性と、そして何よりもそれを知りたいという思いが大事なのだと思います。
 もし大牟田に行く機会があれば、ぜひ読んでみてください。本日の一枚は、大牟田の宮原坑跡に残されている櫓です。
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by sabasaba13 | 2006-02-10 06:08 | | Comments(0)