2006年 02月 21日 ( 1 )

「中村屋のボース」

 「中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義」(中島岳志 白水社)読了。ラース・ビハーリー・ボース(1886~1945)、1910年代のインドを代表する過激な独立運動の指導者です。ハーディング総督爆殺未遂事件の主犯で、イギリス官憲に追われて日本に亡命し、その後の半生を日本を拠点にしてインド独立に捧げた人物です。イギリスの圧力を受けた日本政府から国外退去を求められ(即ちイギリス官憲による逮捕・処刑を意味します)、窮地に陥ったボースを頭山満・大川周明らが援助し、新宿中村屋の相馬愛蔵と黒光夫妻が彼を匿い救ったというエピソードは知っていましたが、この本であらためてその波瀾万丈の一生を知ることができました。活動拠点が日本であったので、直接インド独立に関わることはできなかったのですが、独立運動を側面から支えるために東奔西走する姿には圧倒されました。講演、出版、日本の有力者への働きかけ、インド人運動家への援助、全力を尽くしてインド独立を実現しようとするボース。しかし日本政府の協力を得るために、その帝国主義的政策に歩調を合わせていったことが彼の悲劇だったのですね。やがて本国の独立運動と乖離していくことになり、過労がたたってインド独立の二年前になくなっています。なお、スバス・チャンドラ・ボースとは全くの別人。
 それにしても近代日本のアジア主義の粗雑さと底の浅さが印象的でした。例えば、二十一か条要求の撤廃を求めて来日した孫文に対して、頭山満は「目下オイソレと還付の要求に応じるが如きは、我が国民の大多数が承知しないであろう」と突き放します。(この後孫文は神戸で日本に対して覇道ではなく王道を求める講演をします) 国益と国民感情に応じて融通無碍に変化したのが、アジア主義だったのかなと思います。ボースはそこに一縷の望みを賭けたのでしょうが、結局イギリス攪乱工作の一手段として使い捨てられます。知的遺産としてのアジア主義が現在跡形もないのも頷けます。アジアをマーケットや安価な労働力供給の対象としか見ていない、今の日本企業のあり方にも通底していますね。こうした近代日本のアジア主義を掘り起こして再検討し、新しいアジア主義を立ち上げ、人類主義とどう結び付けていくかがわれわれの課題なのかもしれません。アジアとは何ぞや? その連帯の条件や可能性は何か? ガンディーの思想に学ぶべきところは多々ありそうですね。
 面白いエピソードにも満ち溢れています。日比谷公園にある松本楼は、かつて孫文やボースなど、アジアの革命家が集うレストランであったこと。そこのロビーにあるピアノは梅屋庄吉(映画産業のパイオニア)の自宅にあったもので、ヤマハによって生産された国産ピアノ第一号(現存する二台のうちの一台)で、孫文の妻宋慶齢もよく弾いていたとのこと。よしっ、今度見に行ってこよう。
 新宿に三越が進出して中村屋の売り上げが落ち込んだ時に、ボースが本格的な「インド・カリー」の作り方を伝授して発売、大人気を博したこと。彼にとって、イギリス人が作り変えたカレーではなく、伝統的なインド・カリーを広めることは、植民地化された食文化を主張する反植民地闘争の一環だったのですね。だから中村屋では「カリー」という商品名を使い続けているんだ、納得。今晩の夕食は中村屋のインド・カリーに決まり! なお相馬夫妻はボースの国外退去命令に憤り、こう言ったそうです。
 大英帝国の申入れにおびえて亡命客を追出すなんて、何という恥さらしな政府だろうと、主人も私も憤慨した。政府が無能なら国民の手でどうにかならんものか、もっと輿論を高めなくてはと、顔を見合わせて気を揉んでいた。
 何という心意気! 政府の無能さに気づかない多くの方々や、それを報道しないメディア、という昨今の情勢に思いを馳せてしまいます。
 そうそう以前に川越の近くで安岡正篤記念館を見つけましたが、彼とボースに親交があったこともわかりました。こうした知のネットワークめぐりも楽しいですね。

●新宿中村屋ホームページ http://www.nakamuraya.co.jp/index.html

追記 残念ながら絶版のようですが、相馬黒光の自伝「黙移」(平凡社ライブラリー288)は面白いです。古本屋で見つけたら、購入をお勧めします。近代の日本女性の自伝をもっと読んでみたいのですが、いかんせん数が少ない。他に私が知っているのは福田英子の「妾の半生涯」と高群逸枝の「火の国の女の日記」ぐらいかな。もしご存知でしたら、ぜひご教示ください。
by sabasaba13 | 2006-02-21 06:09 | | Comments(2)