2007年 01月 11日 ( 1 )

「『忘れられた日本人』の舞台を旅する」

 「『忘れられた日本人』の舞台を旅する 宮本常一の軌跡」(木村哲也 河出書房新社)読了。西山遊野さんにご教示いただいた本です、この場を借りて感謝いたします。宮本常一の名著「忘れられた日本人」の舞台となった場所と、彼と出会った人たちやその子孫の方々を訪ね歩いた旅行記です。著者の宮本常一に対する熱い想いと敬愛の念が行間からほとばしりでてきます。たんなる顕彰や賞賛ではなく、彼の後をたどり、そして彼が見残したものを見ようとする著者の軽やかな姿勢がいいですね。軽快なフットワークを思わせる文章にも魅了されました。貧困や苦難に喘ぐ離島や僻村の人々が胸を張って暮らしていけるようになるにはどうすればよいのか。そうした生活に役立つ学問をうちたて、どうやってわれわれ庶民が歴史をつくっていくか。彼が一生をこの大きな課題に捧げたことがよくわかりました。彼の伝記としても優れた書だと思います。それにつけ加えて、著者の痛快な貧乏旅行にも目を見張りました。旅費を安くあげるための、木村氏の三つの鉄則です。(1)移動手段としては普通列車にしか乗らない。(2)食事はなるべく質素に。(3)宿代を浮かすために寝袋で野宿。旅行記としても十二分に楽しめる本です。
 なお以前に拙ブログで紹介した、彼の父・善十郎の言葉がすべてわかったのもこの本のおかげです。1923年宮本が16歳のとき周防大島を離れて大阪に出るにあたって、息子に伝えた十箇条(出典は「民俗学の旅」)、備忘のために全文を載せておきましょう。
(1)、汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうことをよく見ることだ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
(2)、村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上がってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなところがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
(3)、金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
(4)、時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
(5)、金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
(6)、私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。
(7)、ただし病気になったり、自分で解決のつかないことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。
(8)、これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
(9)、自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。
(10)、人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。
 今キーボードを叩いていても、心がほんのりと温かくなってきます。愛情と叡智にあふれた素敵な言葉の数々! 宮本常一の人となりは、こうした父の存在があって生れたのでしょう。あせらずに世の中をよく見て歩くこと、そして世の中をよくするために、自分のえらんだ道をしっかりと歩くこと。その訓えを私もありがたくいただき、微力ながらも実践していきたいと思います。
なお著者の木村氏は、現在宮元の郷里・周防大島文化交流センターの学芸員をされ、彼の残した資料を未来へ継承するための仕事をされているそうです。彼を育てた周防大島とこの文化交流センター、うーむ何としても行きたくなったぞ。宮本常一の話し声がふと耳の奥で聞こえてきました。


歩いてみろ、旅はええぞ
by sabasaba13 | 2007-01-11 06:16 | | Comments(2)