2007年 11月 12日 ( 1 )

「戦争の世紀を超えて」

 「戦争の世紀を超えて」(森達也・姜尚中 講談社)読了。読み応えのある重厚な一冊でした。私にとって間違いなく座右の書となります。なぜ、20世紀に大量殺戮と大量虐殺が起きたのか。森達也・姜尚中両氏が実際にその現場を訪れ、その場所でこの問題について語り合うという刺激的な内容です。訪れたのは、イエドヴァブネ、アウシュビッツ強制収容所、ベルリン、ワルシャワ、ザクセンハウゼン強制収容所、ヴァンゼー会議場、市ヶ谷の東京裁判法廷、ソウル、戦争記念館(韓国)、そして38度線。なおイエドヴァブネはポーランドにある村で、1941年、善良な村民が1600人のユダヤ人を虐殺した事件が起きたところ、ヴァンゼー会議場はナチスがユダヤ人絶滅を決定した場所です。
 事件の起きた場所の雰囲気に触発され、自分の頭で真摯に考え実りある議論をしようと努力するお二人を前に、凡庸な私は立ち竦むだけ。しかしいくつかの重要な論点は受け止めることができました。
 私もアウシュビッツは訪れたのですが、死体焼却炉と所内に常駐するSS隊員たちの食堂と娯楽室との距離があまりに近いということには不覚にも気づきませんでした。なぜ彼らは平気だったのか、平常心を保てたのか。ある意味ではイエドヴァブネでの惨劇も同様です。今まで同じ村の仲間として仲良く暮らしてきたユダヤ人を、たとえナチスによるプロパガンダがあったにせよ、大量に殺戮できたのか。なぜ善良な一般市民が、大量殺戮を行えたのか。そうした加害者の生理や心の動きをきちっとおさえて語り継ぐことが重要なのではないのか。森氏はこう言っておられます。
 被虐と同時に加虐を語り継がないから、モンスターは何度も登場する。当たり前です。何がどうなったら、人はモンスターになってしまうかという記憶が途切れているのだから。
 そして氏は何かの回路が駆動して虐殺を行うのではなく、何かの回路が機能停止した結果ではないかと分析します。その回路とは、一人称の主語を保つこと、つまり「私は○○であり、こう考え、それに基づいてこう行動する」ということでしょう。それによってリアルな感覚が欠落し、非人間的は行為も平然と行え、そしてそれを行った主体を今の自分と隔絶でき、事件を忘却することができる。
 それではなぜそうした回路がいとも簡単に機能停止してしまうのか。姜氏の言葉が考えるヒントとなります。長文ですが、引用します。
 宗教戦争を別にすれば、19世紀までの戦争は、領土や資源、あるいは労働力などの収奪を目的としていたからこそ、ある程度の着地点というか、終着の形は常にあったわけです。でも今の戦争はそうじゃない。人権や民主主義を守るという意識に偽装されながら、敵国のイズムを破壊するか、そうでなければ殲滅が目的になってしまう。

 我々はこの時代に生きていて、価値がないから抹殺するということはやっていないけれども、でもどこかに価値のないやつが生きていても仕方がないという考えが、人々の意識に巣くっていると思う。つまり憎悪でこれは敵だ悪だというのとは別に、もう一つ、価値がないから生存する必要がないという考えがあると思います。で、僕はその価値がないから抹殺するメカニズムは、ナチスでなくても資本主義の淘汰によってそうされているんじゃないかと思えるのです。…例えば、市場の機械的なメカニズムでね。人間が手を加えなくても、そのメカニズムは働いている。それは誰かが手を染めなくても淘汰のメカニズムとして存在するわけです。その最大の場所がアフリカになっていて、ナチスみたいにむだだから消そうとしなくても、何もしなきゃ死んじゃうという状態。
 うーん。この視点で考えると、昨今の日本における状況が理解しやすくなります。福祉の切捨て、格差の容認、ホームレスへの襲撃、石原強制収容所所長の差別発言とそれを暗黙のうちに支持する世論、いずれもその背景には、社会的弱者=価値がない=抹殺してもかまわない、という資本主義の論理が貫徹しているのでしょう。われわれは、緩慢にしてマイルドなホロコーストの只中にいるのかもしれません。その渦中に埋没して、強者の側に立とうとあがくのも一つの選択肢でしょう。しかし私は抗いたいし、多くの人々も同様な考えをもつと信じます。ではどうやって? 考えましょう、両氏のように真摯に。

 最後に。歴史を学ぶ市井の一歴史学徒として、背中に冷水を浴びせられ、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた、姜氏の一文です。
 ベトナム戦争が1975年に終わり、1945年から75年を戦後アジア三十年戦争と言う人がいるんです。しかし、日本でそういう概念をもつ人は少ない。結局、日本の一歩外に出れば、いわば三十年戦争は続いていたわけですよ、朝鮮戦争、ベトナム戦争と。アジアに平和は訪れていないのに、日本だけが1945年8月15日をゼロにして、そこから平和が始まったという時の刻み方があるんです。
 なぜ私は、戦後における日本の平和とアジアの戦争を分けて考えてきたのか… 第二次大戦後の歴史を全体として把握する、これからの私の課題にしたいと思います。いろいろな意味において必読の書、お薦めです。

 アウシュビッツ強制収容所で撮影した写真です。
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by sabasaba13 | 2007-11-12 06:05 | | Comments(0)