2008年 07月 03日 ( 1 )

「日清戦争」

 「日清戦争 東アジア近代史の転換点」(藤村道生 岩波新書D127)読了。これまであまりにも語られることが少なかった、"地味な"戦争、日清戦争(1894~95)。そもそもなぜ清と戦争を始めたのかよくわからない方も、あるいは清と戦争をしたこと自体も知らない方も多いのではないのでしょうか。実は当時の人々も戦争を起こした理由について良く分かっていなかったようです。谷崎潤一郎の『幼少時代』に次のような記述があります。
 …私には此の戦争の理由が呑み込めなかつたので、或る日その譯を尋ねると、父は晩の食事の時に、
「よし、お父つあんがよく分るやうに話してやらう、まあこゝへ來な」
と、私を膳の傍へ坐らせて、一杯飲みながら長々と一席辯じたことがあった。が、正直のところ父の説明はむづかし過ぎて、私には理解出來なかつた。私が一番不思議に感じたのは、朝鮮の事件である東學黨の叛亂に、どうして日本の軍隊が出動しなければならなかつたのか、而も朝鮮へ出かけて行つて支那の軍隊と交戦したのはどう云ふ譯かと云ふことで、これは何としても頷けなかつた。
 著者は、日清戦争を日本および東アジア近代史の大きな転換点ととらえ、さらに以後五〇年にわたる日本帝国主義の中国侵略戦争の発端をなす、日中五〇年戦争の第一次戦として位置づけられています。その分析の視角として、日清戦争を三つの戦争の複合体として考察するべきだと提唱されています。第一は、帝国主義列強のアジア進出を意識し、かれらが分割に着手する以前に「利益線」である朝鮮半島を制圧するために、そこへの清の宗主権を排除した戦争で、主として武力で実行された「戦争」。第二に、中国と韓国の分割をめぐる欧米列強との戦争で、日清戦争末期に三国干渉として姿を現しました。日本は武力に劣ったため戦わずして屈服した、つまり「戦争に至らなかった戦争」。第三は占領地域の民衆抑圧の戦争で、具体的には台湾の人々および韓国農民との戦争です。これらは日本が国際法上の戦争と認めなかったから「戦争ならざる戦争」。実は、日本軍の死傷者は、この第三の戦争においてもっとも多数であったのですね。
 つまり、対中国、対欧米列強、対アジア民衆という三つの顔を持った戦争です。うむむ、これは鋭い。つまり当該地域の民衆を抑圧しながらアジア植民地化の有力な主体・プレーヤーになるのだという意思を鮮明にし、かつそれを実行した戦争であったということです。そしてこの戦争がきっかけで中国は帝国主義列強の草刈場となり、英米の援助によって軍事力を強化した日本は中国における利権を求めて「第二の戦争」に突き進んでいくことになりました。まずはロシアと戦い(日露戦争)、そして英米との戦争(アジア・太平洋戦争)に突入します。こうした長いスパンで歴史を見ると、あらためて日清戦争の重要性が浮き彫りにされてきます。

 本書を読んでよくわかったのは、近代日本の宿痾とでも言うべき事象がこの戦争において出揃っているということです。まずは軍部の暴走・独走。よく日清戦争においては伊藤博文首相が政略的見地から、戦略と統帥部をコントロールしえたと言われますが、本書によるとそう単純な話ではないようです。この戦争は参謀本部が敷いたレールの上に陸奥宗光外相がのっかり、やがて政府がひきずられる形で始まったのだと著者は喝破されています。明治天皇が「今度の戦争は大臣の戦争であってわしの戦争ではない」と不満をあらわにしたのは有名なエピソードですが、伊藤首相も、開戦後陸奥外相に「ご同様知らず知らず大洋に乗り出し」たと書き送っていたそうです。開戦から講和にかけては伊藤首相がイニシアティヴを発揮しますが、暴走しようとする軍部の手綱をとるのに相当苦労したようですね。
 そして日本軍における兵站組織と防疫、衛生設備の不備・軽視という致命的欠陥。この後方支援組織の薄弱さは、日本軍の戦術思想が攻撃力偏重で長期持久戦の思想にかけていたことによると著者は指摘されています。私は、それに加えて、経済力の脆弱さも原因になっていると思います。いずれにせよ、これが原因で重大な敗北を喫しなかったため、戦後も十分な反省がなされず、アジア・太平洋戦争において凄惨な事態をまねくことは周知の通りですね。
 他にも、戦場における軍紀の喪失と一般市民に対する残虐行為(ex.旅順虐殺事件)、植民地化に反対する現地民衆に対する暴虐や弾圧(日本軍が殺した正規軍兵士と民衆、どちらが多かったのでしょう?)、対外強硬策を行い民衆の戦争熱を煽っておきながらもやがてそうした世論に押されて選択肢を狭めざるをえない政策決定者などなど、これ以後も拡大再生産されていく事態です。
 中でも、次に引用する指摘は重要だと思います。
 こうして、軍事指導者の提起した軍備拡張の要求は外貨獲得の課題を提起し、それを実現するために「貿易立国」政策と金本位制が採用され、ついで輸出振興のために「工業立国」が主張されるにいたった。工業立国論が産業資本の現実的な要求によるのではなくて、国家的要求から提起されたことは重要であった。それは客観的には資本の要求にそうものであっても、さしあたっては資本の発展に桎梏とならざるをえないからである。この矛盾は、軍備拡張がアジア侵略をうみ、それが国内資本主義の発展をもたらすというさかだちした進路をうみだし、日本帝国主義を特徴づけたのである。
 侵略をすることによって経済力を強化しようとする試み。思うに、欧米列強の場合は、強い経済力をもっていたがゆえの植民地獲得=侵略でした。日本近代史を理解するためのポイントはここにありそうな気がします。これからも日本の近現代史について学び考えていくつもりですが、この視点はつねに脳裡にとどめておきたいと思います。

 最後に疑問を一つ。なぜ日本人は、この戦争を軽視してきたのでしょうか? 短期間で終わった、それほど甚大な被害・損害がなかった、記憶されるようなドラスティックな戦いがなかった、などいくつかの理由は考えられますが、もう一つ釈然としません。過去の戦争に対するイメージは、政策決定や世論の形成に大きな影響を与えると思います。日清戦争について事実に基づいてきちんと検証しなかったことが、その後の(そして今の)日本にどのような影響を与えたのか(与えているのか)。大変興味のあるところです。
by sabasaba13 | 2008-07-03 06:06 | | Comments(0)