2009年 02月 12日 ( 1 )

「チェ 39歳別れの手紙」

c0051620_673650.jpg 映画「チェ 28歳の革命」の続編、エルネスト・"チェ"・ゲバラの後半生を描く二部作の後編、「チェ 39歳別れの手紙」を見てきました。監督はスティーヴン・ソダーバーグ、ゲバラをベニチオ・デル・トロが演じています。キューバ革命に成功して新政権の重職につき、地位・名誉を手にしたゲバラですが、一通の別れの手紙をカストロに送って姿を消してしまいます。「今 世界の国々が― 私の ささやかな助力を求めている」 彼は新たな革命闘争のためにボリビアの山中に潜入し、ゲリラ兵の訓練と戦いをはじめます。しかし頼りにしていたボリビア共産党の協力を得られず、物資・食糧の補給もままなりません。さらにゲリラ戦にとって命綱とも言うべき農民たちの支持や援助もなく、その居場所を政府軍に密告される有り様です。なおこうした状況の背景については、パンフレットを購入し読むことで理解できました。前者についてはキューバ危機(1962)後、平和共存路線を選択しアメリカとのトラブルを避けようとするソ連共産党からの指示があったということです。また1965年に開かれたアジア・アフリカ連帯会議で「社会主義とは人間による人間の搾取をなくすことだ。社会主義諸国が帝国主義による搾取の共犯者になっている事実を認めなければならない」と暗にソ連を批判したことも影響しているかもしれません。余談ですが、「冷戦」とは米ソ両国が演出した表面的な対立で、互いに敵への憎悪と恐怖を煽ることによって勢力圏内の諸国を締め付け、世界の三分の二をアメリカが、残り三分の一をソ連が支配した体制という見方もできそうです。後者については、ボリビア革命後(1952)の農地改革によって農地を入手できたため、クーデターにより革命政権から政権を奪ったバリエントスによる独裁と搾取があったとはいえ、農民たちがある程度現状に満足していたということです。

 よってボリビアにおけるゲバラたちの革命闘争は困難を極めます。農民や政府軍からゲリラ闘争に参加・合流してくる者もなく(キューバ革命ではあんなにいたのに…)、飢餓と疲労と孤立と絶望が兵たちの心身を蝕んでいくことになります。規律を守らず、部隊から脱走する仲間たちを眼前にし、ゲバラも苦境に追い込まれていきます。喘息のひどい発作に苦しみ馬に乗って移動する彼が、動こうとしない馬をなぐりつけるという象徴的なシーンが心にくいこみました。それでも志を失わず、村々をめぐって搾取をやめさせ正義を実現するために、革命への参加を呼びかけるゲバラたち、そしてそれを冷たく無関心に見つめる農民たち。そしてアメリカの様々な援助によってボリビア政府軍は強化され、掃蕩のための大規模な作戦を展開します。足を射抜かれながらも戦い続けたゲバラでしたが捕えられ、そして…

 前編同様スペクタクルなシーンはほとんどなく、ひたすら峻険な山中を移動し逃走する部隊をカメラは追い続けます。画面サイズも前編のシネマスコープではなく、ビスタビジョン。監督は意図的に選択したのでしょうね、息詰まるような凝縮感をもって目が画面に釘付けされました。「世界は変えられるんだ!」という前編を貫いた昂揚感は微塵もなく、「世界は変えられないんだ…」という重苦しい閉塞感が全編を包み込みます。正直に言って重く苦しい映画でした。しかし、苛立ち、革命の失敗を予感しながらも、仲間を叱咤激励し、農民たちに救いの手をさしのべようとするチェのストイックで人間愛に満ちた姿には胸を打たれます。とくに心に残ったシーンが二つあります。ある村で少年の傷ついた目を治療する場面と、ある村で子どもたちと戯れる場面です。とくに後者における、こぼれおちるような、優しさと喜びに満ちた彼の笑みはこの映画の白眉だと思います。「人間を食ったことのない子どもは、まだいるかしらん。子どもを救え…」という魯迅の声がどこからともなく聞こえてくるような気がしました。(「狂人日記」)

 というわけで、エルネスト・"チェ"・ゲバラの栄光と挫折を見事に描いた、重量感ある二部作でした。「人が人を搾取することは許せない」というチェの志を、心の片隅に灯し続けたいと思います。それにしてもベニチオ・デル・トロっていい役者だなあ、惚れ惚れしました。
 最後に、パンフレットで知ったゲバラの言葉を紹介します。前者は、彼が子どもたちに送った手紙の一節です。
世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、
いたみを感じることができるようになりなさい。

もしわれわれが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者だといわれるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう、そのとおりだ、と。


 追記。魯迅にこんな言葉がありました。
 しかし暗黒であるからこそ、救われる路がないからこそ、革命が必要ではないのか? もし前途に必ず「光明」や「救いの路」という保証書がはりつけられていて、それだからこそ勇ましく革命をやるというのであれば、それは革命家ではないどころか、まったく投機家にもおとる。投機でも、それをやって成功するかどうかは、あらかじめ知りようはないのである。

by sabasaba13 | 2009-02-12 06:08 | 映画 | Comments(0)