2009年 02月 28日 ( 1 )

アイルランド編(2):歴史(08.8)

 さて旅立ちの前に、アイルランドの歴史についてふれておくべきでしょう。
 アイルランド島にはじめて人類が居住したのは紀元前7500年ごろ旧石器時代であるとされます。紀元前4世紀ごろからは、中央ヨーロッパを起源とするケルト族が流入し、最終的にケルト族に属するゲール人がこの島を支配することになりました。5世紀に聖パトリックによってキリスト教がもたらされた頃には、100近くの小国が存在していたようです。西ローマ帝国がゲルマン人の侵入により混乱していたこともあり、やがてアイルランドにおけるキリスト教は、修道院を中心として大陸とは違う独自の発展をとげることになりました。言わばこの6~8世紀は、「聖人と学者の島」と讃えられたように、アイルランドはキリスト教文化や学問の中心地だったのですね。
 しかし8世紀以降、たびたびヴァイキングによる来襲を受け、多くの修道院が破壊されることになりました。クロンターフの戦い(1014)でこれを撃退した結果、やっとその掠奪は終息をむかえます。ヴァイキングたちは交易のための商業都市(ダブリン・コーク・リムリック…)を建設し、この島の経済を活性化させたことも忘れてはならないでしょう。その後彼らはゲール人に融合していったようです。
 ヴァイキングの次はアングロ・ノルマン人の侵入がはじまります。彼らはフヴァイキングマンディー地方に定住したヴァキングで、1066年にイギリスを支配した人びとですね。12世紀はじめに、ヘンリー2世がアイルランド人領主間の勢力争いに介入してアイルランドを支配することに成功し、以後、アングロ・ノルマン人貴族が各地に進出することになりました。しかし彼らは地元のゲール人たちとじょじょに融合し、イギリスへの忠誠は弱まっていきます。イギリスによる支配が本格化するのは16世紀以降ですね。16世紀、カトリック教会と絶縁しイギリス国教会(プロテスタント)を設立したヘンリー8世が、アイルランド王を兼任することになり、厳しい支配体制を確立することになります。そしてクロムウェルによる容赦のない弾圧と蛮行と続き、こうした侵略の結果、アイルランドの人口の三分の一が死亡したか亡命したとされています。そしてアイルランド文化やカトリックは否定されるようになり、17世紀末のボイン川の戦いでプロテスタントの優位が決定的になると、異教徒刑罰法によるカトリック弾圧が始まりました。1801 年には、アイルランドは正式にイギリス連合王国に併合されてしまいます。
 19世紀前半には、ダニエル・オコンネルが活躍し、カトリック解放令を勝ち取るなど権利の回復に努め、併合解消に向けた運動にも尽力することになります。しかし1845~49年に起きたジャガイモ飢饉は、深刻な飢餓と移民で人口の激減をもたらしたほか、被害に対する英政府の対応の不手際が、反英感情を高めました。なおこの飢饉によって、ピーク時には800万人を数えた人口は1911年に440万人にまで減少したそうです。飢饉後、土地の奪還と自治・独立を求める政治活動や武力闘争が再び盛んになります。さらに19世紀末からは、作家W.B.イェーツらが中心となって「アイルランド文芸復興」が始まり、ケルト神話やアイルランド語など、イギリスとは違うアイルランド独自の文化が、アイデンティティの象徴となりました。またこの時期に自治獲得運動の中心となったのがチャールズ・スチュワート・パーネルです。
by sabasaba13 | 2009-02-28 07:39 | 海外 | Comments(0)