2009年 03月 30日 ( 1 )

アイルランド編(17):ダブリン城(08.8)

 またヘンデル(1685~1759)が、1742年にここ聖パトリック大聖堂で「メサイア」を初演したことも記しておきます。ん? てことは… スウィフトが大主教として在任していた時だ! しかしイギリス国籍を得た彼が、なぜアイルランドのダブリンを畢生の大作初演の地としたのだろう??? 帰国後、いろいろ調べてみましたところ、アイルランド総督の依頼を受けたとのことです。そういえば、この時期のヘンデルを描いたシュテファン・ツヴァイクの本があったなあ、本棚をごそごそ探したところ「人類の星の時間」(みすず書房)でした。ヘンデルの他、ナポレオン、レーニン、ゲーテ、ドストエフスキーといった歴史的人物の人生における、いや世界の歴史における決定的な瞬間となった一日を描いた大変面白い本です。その中におさめられている「ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルの復活 1741年8月21日」がその一編。この時期のヘンデルは脳溢血による右半身不随と奇跡的復活、しかし女王の崩御による上演の中止やオーストリア継承戦争の勃発、異常な寒さや聴衆の無理解といった不運やトラブルが彼を襲い借金と絶望の深淵に落とされます。そしてこの日、かつて一緒に仕事をした詩人ジンネンスから送られてきた新作の詩が彼を奮い立たせ、ほぼ不眠不休で作曲に打ち込みわずか24日間で「メサイア」として結実するわけです。その一節に「彼はこのダブリンの町が好きだった。それはこの町が彼に愛情を贈ったゆえである。それでヘンデルの心は開かれていたのである(p.118)」とありました。なるほどねえ、なんとなく納得です。それにしても、スウィフト大主教がどのような面持ちで「メサイア」を聴いていたのか、何を感じたのか、いたく興味がありますね。
 ここからダブリン城の西側にある道を十分ほど北へ歩くと、クライスト・チャーチ大聖堂に到着です。イギリス国教会の大聖堂で、1038年に北欧系のデーン人によって建設された教会が、1240年に大聖堂として完成。泥炭地の上に建てられていたため崩壊の危機に瀕しますが、ダブリンのウイスキー製造業者ヘンリー・ロウが大金を寄付し、1878年に現在のゴシック様式の教会が建てられました。現在では、アーマーを総本山とする英国国教会の第二の教会と位置づけられています。時刻は午後六時、残念ながら拝観は終了だったので外観を見るだけでした。
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 ロード・エドワード通りを東へと少し歩くと、ダブリン城です。1204年、アングロ・ノルマンのジョン王によってアイルランド支配の拠点としてダブリンに頑丈な石の壁で囲まれた町が作られた時、南東の端に、四隅に強固な陵堡(円形の砦)を持つダブリン城が建てられました。以後、700年以上にわたってアイルランドにおけるイギリスの支配の象徴的存在であり、何度も襲撃の対象となったそうです。そうした襲撃や火災のため建物のほとんどが失われ、石造りの円塔であるレコード・タワーのみが建築当初のもので残っています。現在は、大統領の就任式やEUの国際会議など国の重要な行事に使われているとのこと。こちらもすでに見学時間は終了、中庭までは入れたのでレコード・タワーや時計塔の外観のみを拝見しました。人を睥睨し威圧するような石の塔を、アイルランドの人々はどのような気持ちで眺めていたのか…
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-03-30 07:06 | 海外 | Comments(0)