2009年 04月 02日 ( 1 )

アイルランド編(20):テンプル・バー(08.8)

 オコンネル橋から北に向かって伸びるのが中央郵便局やホテル・銀行が立ち並ぶ目抜き通り、オコンネル通りです。こちらの散策は明日以降にして、今日は川沿いの道を西へと歩いていきましょう。オコンネル橋のすぐ西、北岸にリフィ川を船でクルーズする「リフィ・ボヤージュ」の乗船場がありましたが、どうやら今回の旅では時間の関係で乗れそうにありません。残念。このあたりはボード・ウォークになっており、川風を浴び川や橋や付近の景観を楽しみながら快適な散策ができます。しつらえられたベンチでは、市民の方々が思い思いに夕べのひと時を楽しんでおられます。川面の上を飛び交うカモメたちが、海が近いことを教えてくれました。しかし西の空には暗雲がたちこめ、今にも一雨がきそうです。少し歩くと歩行者専用のハーフ・ペニー橋、1919年まで橋を渡るのに半ペニーの通行税を支払わなければならなかったことからこう呼ばれるようになったそうです。
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 橋を渡り南岸の小路を抜けると、このあたり一帯がテンプル・バーと呼ばれる一種の文化村。イギリス人高官のウィリアム・テンプルが修道院から土地を引き継いだことからこう呼ばれるようになったそうです。なお、"バー"は川沿いの道を表わします。かつてこのあたりに税関があり、この界隈には荷物を保管する倉庫が立ち並び、商店や酒場、宿が密集し、大いに繁栄していたそうです。しかし1791年に北岸に税関が移転されると衰微し、スラム街へと替わっていきました。1960年代に交通公社がリフィ川の北岸にあった中央バスターミナルをこのエリアに移転する計画を立て、土地の買収を開始、その間すでに取得していた建物を短期契約で安く賃貸したところ、小さな店や芸術家が次々と集まってきたそうです。やがて彼らの嘆願によってバスターミナルの移転は中止となり、以来ロンドンのコベントガーデンやパリのレアール地区のような、お洒落なレストランやカフェ、野外劇場やアートミュージアムなどが集まる芸術村となりました。通り抜けただけですが、大勢の人で賑わい、活気と熱気がむんむんと立ち上っています。なおこの一角には、U2のボノがオーナーであるクラレンスホテルがあるそうですが、見つけられませんでした。さて再び橋を渡って川沿いの道に戻り、北岸を西へと歩きましょう。しばらく歩くと見えてくる、円柱で囲まれたドームが印象的な建物がフォー・コーツです。
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 イースター蜂起(1916)の後、20世紀最初のゲリラ戦争ともいわれるアイルランド独立戦争(1919~1921)が勃発、鎮圧政策が行き詰まったイギリスはイギリス・アイルランド条約で、アイルランド自由国(※イギリスの自治領)の樹立を認めることになります。しかし北アイルランドはイギリス領とされ、イギリス王への忠誠宣誓を要求されるなど、強硬派にとっては大きな不満が残るものでした。1922年4月14日、この条約に反対するアイルランド共和国軍がこの建物を占拠して総司令部としますが、自由国政府側の総攻撃を受けて降伏。その際に共和国軍は建物を爆破、その時の火災によって隣接する公文書オフィスが焼失し、12世紀からの文献や権利証書など多くの貴重な資料が失われたそうです。アイルランドはその後、約一年におよぶ内戦(市民戦争)となりました。建物は1932年に修復され、現在は高等裁判所、最高裁判所、地方裁判所として利用されています。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2009-04-02 06:12 | 海外 | Comments(0)