2010年 01月 12日 ( 1 )

土佐・阿波編(16):赤岡(09.3)

 さてそれでは高知駅に向かいましょう。高知でしばしば見かけた眼鏡チェーン店「天狗堂」に飾られた天狗のお面に別れを告げ、ホテルで荷物を受け取り、駅構内へ。外国人のお遍路さんが切符を買っていましたが、今回の旅ではけっこう見かけましたね。
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 これから土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗って赤岡へと移動です。列車の側面には、やなせたかし氏がデザインした各駅のキャラクターたちが描かれていました。三十分ほどであかおか駅に到着、高架になったホームがあるだけで駅舎はありません。
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 ちなみに、赤岡町は日本でいちばん小さな町で、広さ1.64平方キロ、東西二キロ足らずほどしかないそうです。車掌に切符を渡して階段を下りると、幸い付近の案内図がありました。町の中心部とお目当ての「絵金蔵」まで歩いて数分のようです。なおこちらのキャラクター人形は、やはり絵金を意匠したものでした。国道55号線を渡ると、すぐそこが本町商店街、ところどころに絵金の絵を模した案内板があるので道に迷うことはありません。でもジョンとはいったい何者なのでしょう???
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 そして「絵金蔵」に到着、さて絵金とは何者か。
 絵金(1812―76) 幕末から明治初年に活躍した土佐の町絵師。通称を金蔵といい、絵師金蔵という意味の絵金の名で親しまれました。土佐の城下新市町の髪結いの子として生まれ、幼少から画業に志し、画才を認めらます。17歳のとき、藩主山内容堂の息女徳姫の供に加わり江戸へ出、狩野派の画法を習得、同時に末期浮世絵の退廃的表現にも深く影響されました。3年後に帰国して藩のお抱え絵師に取り立てられますが、数年後にスキャンダル(一説に狩野探幽らの偽作を行うという)によりその地位を失い、十年間の流浪の末、叔母を頼りにここ赤岡以後に辿り着き酒蔵をアトリエに暮らすことになります。そして町の旦那衆が須留田八幡宮の大祭に奉納するための屏風絵を絵金に依頼したことから、彼の絵が赤岡に残されることになりました。なお彼は六尺の巨漢で大酒飲みだったそうです。
 そして八幡宮宵宮の七月十四日に、絵金の屏風は蔵の中から目覚め、商家の軒先に飾られるようになります。1977(昭和52)年からはじめられた絵金祭りは七月第三週の土日。町に残っている屏風絵は23枚、傷みがでてきたので収蔵庫としてつくられたのがここ「絵金蔵」です。
 それでは入館しましょう。手提げの提灯(中は電灯)を渡されて展示室に入ると、薄暗い中、明かりに照らされた絵金の屏風絵のレプリカが数枚並んでいます。俗悪にして絢爛、おどろおどろしくもダイナミックな描写には驚嘆。「蔵の穴」というコーナーでは、本物の絵を二枚だけ壁の穴から覗けるようになっています。しかし視界が狭く、充分に絵を満喫できません。これは再考を期したいですね。隣の部屋および二階は、絵金に関する資料が展示されています。宵闇の中、蝋燭の揺らめく灯に怪しく浮かび上がる絵金の絵、ぜひとも絵金祭りを訪れてみたくなりました。さて次の列車が来るまで、しばし町を彷徨することにしましょう。絵金蔵の前は弁天座、かつての芝居小屋を復元したものだそうで、芝居の興行などが行なわれています。こちらといい、金丸座(琴平)・内子座(内子)といい、四国の芝居文化はあなどれませんね。
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 町並みに統一感はありませんが、水切り瓦・白漆喰・なまこ壁の商家が点在し、ひなびた和風建築も多い落ち着いた雰囲気です。「はきものと宝石」というシュール・リアリスティックな看板もありました。
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 本町商店街の中ほどに「伊能忠敬緯度観測記念碑」、1808(文化5)年に忠敬が赤岡浦で緯度を観測したそうです。裏道に入ると赤岡小学校、二宮金次郎像とご対面です。
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 本日の二枚です。上は絵金の絵(レプリカ)、弁天座の入口にかざられていました。
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by sabasaba13 | 2010-01-12 06:09 | 四国 | Comments(0)