2010年 08月 25日 ( 1 )

「チボー家の人々」

 「チボー家の人々」(ロジェ・マルタン・デュ・ガール 山内義雄訳 白水社)読了。高野文子氏の「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」(講談社)に触発され、義父の本棚にあった黄色い本書(初版本!)を紐解きました。うん、面白かった。長編小説の醍醐味を存分に味わえました。
 前半は、敬虔なカトリック教徒で実業家のオスカル・チボーの2人の息子、アントワーヌとジャック、ジャックの友人でプロテスタントの家庭の息子ダニエルの3人の若者を中心に展開されていきます。秀才で将来を嘱望される医師である現実主義者のアントワーヌ、父親に反抗し少年院に入れられる理想主義者のジャック、ませた享楽主義者のダニエル。やはりジャックの人物像に心惹かれます。後に兄アントワーヌが、「血気、過激、大胆、はにかみ、それに抽象的観念へのあこがれ、中途半端なことへの憎悪、とうてい懐疑主義にはなりきれないことへのあこがれ」と弟のことを回想していますが、こうしたことが混沌のように渦巻く内心を抱えながら、もがき苦しむジャック。ただストーリー自体はわりと淡々と進み、起伏も少なく、少々退屈する部分もありました。
 それが一気に盛り上がるのが後半、第三巻の『1914年夏』からです。ヨーロッパに夜の高潮のようにひたひたと迫り来る第一次世界大戦の影。人々の不安、反戦への動き、それを押しつぶして呑み込んでいくナショナリズム、高揚、諦め、絶望… さすがに同時代を生きた小説家だけに、そのリアルな描写には手に汗握り息を呑むこともしばしばでした。家出をしたジャックは革命家となり、反戦運動に尽力し、やがて友人ダニエルの妹ジェンニーとの激しい恋に落ちます。その愛を成就するためにも、歴史の流れを止め、"正義と清純の新しい世界(第四巻p.51)"を打ちたてようとするジャック。「世界に平和を取りもどしてやる(第五巻p.60)」という彼の叫びが耳朶に残ります。ジャックが集会で人々に戦争への非協力を訴えた演説は圧巻です(第四巻p.204)。しかし、各国で同時にゼネストを起こそうとする革命家たちの試みは挫折し、戦争は勃発、反戦運動も分断され多くの革命家たちも「祖国防衛」のために戦場へと向います。しかしジャックはあきらめず、飛行機から反戦ビラをまいて兵士に戦場からの離脱を訴えかけようとしますが墜落して重傷を負い、最後はドイツ軍のスパイと間違えられて殺害されます。一方、兄アントワーヌは戦争への協力は市民の義務だと考え軍医として従軍しますが、毒ガスを吸って入院、余命いくばくもなく病床に伏せります。彼は己の過ちに気づき、病と戦いながら戦争・文明・人類への考察を突き詰めます。ここで登場し、人類と現代文明に対する痛烈な批判を語る彼の恩師・フィリップ博士も魅力的な人物でした。そしてジャックとジェンニーとの間に生まれた遺児ジャン・ポールへの希望と、この戦争の本質と人類への懐疑を語る長い独白で、小説は終ります。

 第一次世界大戦が、ヨーロッパの知識人に与えた衝撃の大きさをあらためて思い知らされます。総力戦と大量殺戮、それを可能にした科学技術、そして祖国のためにすすんで命を投げ出した多くの人々。B・アンダーソンが『想像の共同体』(NTT出版)の中で指摘している通りです。「今世紀の大戦の異常さは、人々が類例のない規模で殺し合ったということよりも、途方もない数の人々が自らの命を投げ出そうとしたということにある」 暴力・破壊・狭量は人類の本能なのか、このまま人類は滅んでしまうのではないのか、人類の愚行や傲慢をくいとめる術はないのか、われわれはどうすればよいのか。ジャック、アントワーヌ、フィリップ博士が三人三様に語る、呪詛と憤怒と絶望とかすかな希望に心打たれます。そう、この問題はいまだ解決していないどころか、環境破壊というさらに深刻な問題まで加えてわれわれの眼前に立ち塞がっています。今だからこそ、彼らの言に耳を傾けてみませんか。まだ遅くはない…かもしれません。
[ジャック] 従来の権益者を追っ払ってその後に他の権益者をすえること、それでは資本主義をほろぼすということにはならない。それはただ、資本主義の位置を変えるというに過ぎないんだ。そして革命は、一つの階級-たといそれが一番多数をしめ、一番搾取されつづけていた階級であろうと-一つの階級の勝利とは別個のものでなければならない。僕は、一般的な勝利をのぞんでいるのだ…ひろく人間的な階級の。(第三巻p.180)

[ジャック] 暴力によって世界の運命を蹂躙させないたった一つの方法は、自分自身、あらゆる暴力を肯定しないことにある! (第四巻p.245)

[フィリップ博士] 人間は、真の叡智の日に達するまで、まだまだたくさんなつらい経験をなめなければならない! …そうした日になって、人間ははじめて、この地球上に生きて行くため、科学によって教えられたものをつつましく利用するようになるだろう…」 (第四巻p.300)

[アントワーヌ] 人類からその本能的な狭量さと、生まれついての暴力礼讃の気持と、人間が暴力によって勝利をしめ、自分とちがった感じ方、自分とちがった生き方をしている弱者にたいして、自分の感じ方、自分の生き方を暴力によって強要するという気ちがいじみた快感を駆逐することができるまで、はたして何百年かかるだろう? (第五巻p.179)

[フィリップ博士] いいかね、すべては次の結論に帰着するんだ、いわく、唯一つの-科学的、と言いたいところだが謙遜して、唯一つ理性的な、唯一つ人を裏切らないところの、とでも言っておこうか-態度は、真実を探すことではなく、《誤りを探す》ということなんだ…誤りを認めること、これはなかなかむずかしい。だが、やってできないことではない。そして、厳密な意味で、できることといったらそれだけなのだ! …その余のことは、全然寝ごとだ! (第五巻p.249)

[アントワーヌ] 現代の人間をその最後の一環とする有機的連鎖が、長い時を通じて今日までつづいていること、それが絶滅されることもなしにこの地球上の無数の地質学的大変動を通過して来たということ、また自然の盲目的な浪費をも運よくまぬかれ得たということ、それはまさしく奇蹟的とでもいうべきではないだろうか、と。
だが、こうした奇蹟は、はたしていつまでつづくだろう? 人類は、はたしていかなる(避けがたき)終局に向って進みつつあるのだろうか?
…人間の世界は閉された世界、人間だけに限られた世界だ。人間にゆるされた唯一の望みは、その欲望を満すため、この限られた土地を十二分に利用すること。しかも、その土地たるや、微々たる人間にくらべては大きくあろうが、これを宇宙にくらべるとき、取るにたらぬ小ささなのだ。科学ははたして、それに満足すべきことを人間に教えてくれるだろうか? 微々たることの意識によって、そこに安定と幸福とを見出させてくれるだろうか? それは必ずしも不可能ではあるまい。科学は、さらに多くのことをしてくれよう。すなわちそれは、人間に課せられている限界のこと、人間を生んだ偶然のこと、人間が取るにたりないものであることを教えてくれよう。それは、今夜このおれが感じているような平静な気持に、人間をして常にあらしめてくれるかも知れない。わが身にせまったあの虚無を、すべてを呑みこむあの虚無を、ほとんど平静にながめさせてもくれるだろう。(第五巻p.316)

by sabasaba13 | 2010-08-25 06:28 | | Comments(4)