2011年 09月 30日 ( 1 )

クロアチア編(25):スプリットへ(10.8)

 そして近くの船着き場から船に乗って、クルカ川クルーズへ出発。もちろん、私にとってはお誕生日席である、最上部のオープンエア・デッキの椅子に陣取りました。そして出航、船は静かな川面を音もなく進んでいきます。両岸は緑におおわれた石灰岩の山々、心地よい川風を満身に受けながらのクルージング。時々すれちがう観光船の乗客とエールを交換し、飛び交う水鳥を眺めていると、二十数分で小さな町の船着き場に到着しました。
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 こちらで待機していてくれたバスに乗り、昼食をとるレストランへ。グリルした鱒(嗚呼さっき泳いでいた御仁の御親族かも)にすこーんと舌鼓を打ち、きんきんに冷えた白ワインをくいっとあおれば、この世は天国さっ。
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 そして次なる目的地、スプリットへ移動です。距離にして約90km、予定では一時間ほどかかるとのこと。しばらくはごつごつした岩だらけの荒涼とした風景が続きますが、やがて街並みが現れてきました。さすがは地中海性気候、オリーブや葡萄がよく栽培されているようです。ソリンという町は、かつてローマ帝国ダルマチア州の州都サロナとして栄えたそうで、車窓からも遺跡らしきものが瞥見できました。水道橋もありましたが、これもローマ時代の遺跡なのでしょうか。そして高層ビルディングが建ち並ぶスプリットに到着です。
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 人口約二十万人のアドリア海最大の港町、そしてローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?~316?)の宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源をもつ町です。なして? ガイドブックによると、西ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙してこの地に入りこんできた七世紀、近郊のサロナから追われた人々が、頑強な城壁に囲まれている宮殿内に避難してきたことが発端だったそうです。人々は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から建物を増築する形で町を築いていったため、古代と中世の建物が複雑に絡み合うような独自の町並みが生まれることになりました。世界遺産として認定されています。さて、ディオクレティアヌスとはどのようなお方なのでしょう。彼はサロナの解放奴隷の子として生まれ、親衛隊長として活躍、ペルシャ戦争での功績を買われ、284年にローマ皇帝の座を手に入れます。当時ローマ皇帝は、軍人皇帝の時代となっていたのですね。しかし異民族の侵入や攻撃に悩まされ、ローマ帝国の弱体化が始まっていました。広大な領土を一人の皇帝が統治するのは難しいと考えた彼は、二人の正帝と二人の副帝が領土を分かち合い統治するという「四分割統治」を行ないました。彼はニコメディアに住み、帝国全体の最高権威者として君臨します。しかしこれが帝国の分裂をもたらす要因ともなったのですね。また複雑な儀礼などを考案し、皇帝の神格化も図りますが、これはビザンティン帝国に引き継がれたそうです。そしてキリスト教を迫害した最後の皇帝としても、歴史に名を残しています。(313年、コンスタンティヌス大帝により公認) しかし、305年、彼は突然自らの意志で引退をしてしまいます。これはローマ帝国史上はじめてのこと、その引き際の良さこそが、彼が行った最大の政治改革とも言われているそうです。そして故郷のサロナ二近く、寂れた漁村であったここスプリットに宮殿を建て、園芸や造園を楽しみながら晩年の十年を過ごし天寿を全うしました。彼の片腕であった血気盛んなマクシミアヌスから、再度帝位につくよう要請されると、ディオクレティアヌスはこう答えたそうです。
 もしこのサロナ(スプリット)で私が作ったキャベツをあなたに見せることができれば、いくらあなたでも、私にこの幸福を捨てて、再び権力を求めよなどと、勧めることはできなくなるだろう。


 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-09-30 06:18 | 海外 | Comments(0)