2011年 11月 28日 ( 1 )

隠岐編(4):美保関(10.9)

 境水道大橋を渡り、中海から日本海へと通じる境水道に沿って、島根半島南部の道をタクシーは東へ向かって疾駆していきます。♪地球の果てまでアクセル踏んで、若い命がゴーゴーゴー♪と鼻歌を歌いながら車窓を流れゆく景色を眺めていると、二十分ほどで美保神社の門前に到着しました。ここ美保関は古来より朝鮮との貿易の拠点として栄え、江戸時代から大正時代にかけては、北前船航路の中継基地として重要な港湾でした。またこの時代には、西日本でも有数の歓楽街としても栄え、多くの遊郭が軒を連ね、人口の四分の一を遊女が占めた時代もあったそうです。鳥居の前を右へ折れると美保神社と仏谷寺を結ぶ参道で、古い旅館や旧家が建ち並ぶ「青石畳通り」です。当地の海石を敷き詰めたもので、雨の日には、うっすらと青色に変化することからその名が付いたと言われます。殷賑を極めた往時の雰囲気をよく残す、しっとりとした、でもどことなく色香を漂わせる街並みです。鏑木清方の絵に描かれたような女性がふと横丁からあらわれ、嫣然と微笑みながら「あら、おひさしぶり」と声を…いかんいかん、真昼間から妄想に耽ってどうする。
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 随所に歌碑や句碑などが置かれていますが、多くの文人たちもこの色街を訪れたのでしょう。「烏賊の味忘れで帰る美保の関」(高浜虚子)、「地蔵崎わが乗る船も大山も沖の御前も紺青のうえ」(与謝野寛)、「地蔵崎波路のはての海の気のかげろうとのみ見ゆる隠岐かな」(与謝野晶子)、「関の松さえ切られりゃかなし 恋のえにしを誰が切る」(西条八十)、「杯の数かさなりて夜はふけぬ酔おもしろし美保は風流」(吉井勇)。
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 また島崎藤村の「山陰土産」や、田山花袋の「山水小記」、ラフカディオ・ハーンの「知られぬ日本の面影」に登場する、美保関を描写した文章も紹介されていました。
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 景観を楽しみ写真を撮りながら数分程歩き、左に曲がると突き当りが仏谷寺。隠岐に流刑となった後鳥羽上皇と後醍醐天皇が風待ちのため立ち寄った行在所にもなった古刹です。境内には八百屋お七の恋人、小姓吉三の墓もありました。伝えによると、お七の処刑後、吉三は発心して「西運」と称して江戸より巡礼の旅に出、各地にお七の地蔵をたてながら1737 (元文2)年に70歳でこの地で亡くなり、それを葬ったといわれています。合掌。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-11-28 06:17 | 山陰 | Comments(0)