2012年 07月 03日 ( 1 )

「救出」

 「救出 日本・トルコ友情のドラマ」(木暮正夫・文 相澤るつ子・絵 アリス館)読了。十年ほど前に樫野埼灯台を見るために紀伊大島を訪れた時、トルコ軍艦遭難碑とトルコ記念館に出会い、1890(明治23)年に沖合で難破したトルコ軍艦の乗組員をこの島の人びとが救助したという話を知りました。先日、たまたま山ノ神の本棚を物色していたら、この話を題材とした子ども向け絵本を発見。これは面白そうと読み始めたらあっという間に読了。なかなか読み応えのある本でしたので、紹介します。この軍艦はエルトゥールル号で、オスマン帝国が日本に初めて派遣する使節団を乗せていました。ロシアへの警戒心を共有する日本と友好を深めるとともに、寄港先の国々のイスラム教徒に、スルタンの権威と帝国の国力の健在ぶりを誇示するという目的もあったようです。しかしオスマン帝国海軍が行なう初めての大遠洋航海、老朽化した船、そして乗組員たちの航海経験の乏しさ、と不安に満ちた航海でした。そして東京で明治天皇と謁見をはたし神戸に向かう途中、熊野灘で台風と遭遇、1890(明治23)年9月16日の夜、岩礁に乗り上げて水蒸気爆発を起こし、一時間半後に沈没。必死で岸へと泳ぎ着いた乗組員を、嵐の中、大島の人たちは全力を尽して救助・介護をします。
 友吉たち若い衆は、生死の間をさまよう男たちをふとんに寝かせ、下帯一つでかわるがわるだきあたためていた。海で遭難した人の冷えきったからだをあたためるには、昔から、これが最良の方法だった。あいてが外国の男だからといって、友吉たちにためらいはなかった。(p.24)
 結局、乗組員609人のうち生存は69人、大島の島民たちは最後まで彼らを手厚くもてなし、流れついた遺体の埋葬もすませます。今そこに建つ慰霊碑は、死者の鎮魂とともに島民への感謝の念を込めて、トルコの費用でつくられたそうです。

 さて時は経って95年後の1985(昭和60)年3月。イラン・イラク戦争が激化し、イラクによるテヘラン市内へのロケット弾攻撃へとエスカレートしていきました。テヘラン在住の外国人は、自国政府が用意した臨時便の飛行機で次々と国外へと脱出していきますが、日本政府は一向に動きません。業を煮やした野村豊大使は、藁にもすがる思いでトルコのビルセル大使に助けを求めました。そして結局日本政府は…
 18日になってようやく、日本では政府が成田空港に日本航空の350人乗りジャンボ旅客機をスタンバイさせた。日本航空は、「午後六時までに派遣の指示があれば、救援可能」と、離陸の体勢をととのえていた。しかし、外務省からはついにゴーサインがだされることはなく、かわりに、「何人が救援を必要としているか不明につき、派遣中止」が伝えられた。(p.72)
 万事休す。その時、ビルセル大使から、日本人救援のためトルコ航空をテヘランに派遣できるという連絡が入りました。こうして260人余の方々が無事に脱出できました。それを空港ロビーで見送っていたビルセル大使は、野村大使にこう語ったそうです。
 「トルコと日本は、エルトゥールル号のときから、友好のきずなでむすばれてきました。わたしたちは、あのとき、日本の人たちからうけたまごころを、みんながむねにきざんでいます。トルコの子どもたちは、そのことを、学校でおしえられています」 (p.75~6)
 読後、痛切に感じたのは、"安全保障"って何なのだろう、ということです。わたしゃてっきり"安全保障"とは、国家権力が責任をもち全力を尽して自国民の生命・安全・暮らしを守ることかと思っていました。しかし日本の官僚・政治家諸氏の頭の中にはそんな考えは毛頭ないようです。危機に瀕したテヘラン在住の邦人を見殺しにしたことが如実にそれを物語っていますが、戦後の歴史をふりかえっただけでもこうした事態は日常茶飯事となっています。現在の野田政権を見ても、大飯原発の再稼働、7月末には水俣病申請の打ち切り(これは既定路線ですが)、福島第一原発事故被災者への冷たい処遇、企業や高所得者への増税抜きの消費税率アップ… さらにあろうことか、民主党・自民党・公明党は原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言を盛り込んだそうです(2012.6.20)。要するに、日本が将来的に核兵器を持つためにも、原子力発電は必要だということなのでしょう。消費税アップをめぐって世論が騒然としている隙をついて、まともな議論もせずにこのような重要な文言をこっそりと盛り込んでしまう。卑劣としか言いようのない"火事場泥棒"的手法です。ま、日本の官僚・政治家の十八番と言ってしまえばそれまでなのですが。彼らの考える"安全保障"とは、核武装をも視野に入れた軍事力の強大化と、官僚・政治家・財界が利権を貪れる現行体制の護持なのだと思います。
 私は、自国民の、いや日本に暮らすすべての人びとの生命・安全・暮らしを守るという意味での"安全保障"を希求します。なぜトルコ政府が、テヘランの日本人を救ってくれたのか? 結局、95年前の日本人がトルコ人を救ってくれたという出来事によるものですね。だとしたら、核武装・軍事力強化で周辺地域に危険かつ不要な緊張をばらまくよりも、まず近隣の、できれば多くの国々の人びとを救うこと。具体的には、自衛隊を改組して、以前に拙ブログで提唱した国営国際救助隊「雷鳥」を立ち上げ、自然災害や事故で苦しむ人びと(もちろん日本人を含めて)を助け、「友好の絆」「真心」というネットワークを築き上げること。これこそが一番確実な、そして未曾有の"安全保障"だと考えます。「甘い」「非現実的だ」「理想論だ」等々、どのような批判でも甘んじて受けましょう。でも、福島第一原発四号炉の使用済み核燃料貯蔵プールや、六ヶ所村再処理工場、さらには他の核(原子力)発電所が、地震によって深刻なダメージを受け、事実上日本が滅亡するというありうべき地獄図にくらべれば、試してみる価値は充分にzると思うのですが。

 付記。1985年当時の首相は誰か、気になって調べてみたところ…中曾根康弘氏でした。核武装を視野に入れた原子力発電の推進に、当初から尽力し邁進してきた御仁ですね。「国民の命など眼中にない」という姿勢が見事に貫かれています。

 本日の二枚、樫野埼灯台とトルコ軍艦遭難碑です。
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by sabasaba13 | 2012-07-03 06:17 | | Comments(0)