2012年 07月 23日 ( 1 )

瀬戸内編(12):岩国(11.3)

 それでは散策を開始、この旧五橋湯の付近が、かつての城下町だったそうです。その前の路地を歩いていくと、「残そう!岩国の街並み 目指せ!伝建地区」というポスターがありました。ちなみに"伝建地区"とは、おそらく重要伝統的建造物群保存地区のことですね、現在88地区が選定されているそうです。さあその願いが叶う可能性はあるのか、この目でしかと拝見させていただきましょう。まずはここ岩国出身の作家・宇野千代の「人生は いつだって 今が最高のときなのです」という言葉を刻んだ板がありました。
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 店じまいをしたらしいBARBERの先には、漬物屋「うまもん」の古い木造建築があります。
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 虫籠窓と格子のあるちょっとすすけた民家や、洋館風のお宅、屋根の上に突出した部分が気になるお店、白壁が剥落しつつある土蔵、瀟洒な「杉田時計店」、阿部定電柱など、味わい深い物件も発見。
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 古風なガラスケースが郷愁を誘う駄菓子屋、小振りながらもイオニア式列柱が見事な山口銀行、それに対抗してあえなく撃沈したかのようなチープな列柱が涙を誘う「町のグルメ店 蟻(!)」、浮き彫りとアーチのある三連窓がチャームポイントの「店服洋藤田吉」、ごきぶりホイホイのホーロー看板、太い梁が印象的な登録有形文化財の國安家住宅を写真におさめ、とどめはやはり宇野千代のお言葉「おしゃれは生きて行く上での生き甲斐である 手をかけ 心をかけることです」。
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 というわけで三十分ほどの短い散策でしたが、充分に楽しむことができました。ただ伝建地区に選定されるには…ま、言わぬが花でしょう。でもがっかりすることはありません、岩国のみなさん。確かに古建築が建ち並ぶ統一感には欠けますが、古い商家・民家、似非洋館、胡散臭い物件が何の脈絡もなく混在する景観には、私(だけかもしれませんが)、心惹かれます。「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されよう、などという親方日の丸的発想とは縁を切って、いっそのこと、「怪しげで胡散臭い建造物群保存地区」(略して"怪建")というコンセプトで町興しをしてはいかが。微力ながら応援したいと思います。なお近くには、1871(明治3)年に建てられた藩立岩国学校の校舎が保存されていますが(岩国学校教育資料館)、以前に見学したことがあるのでカット。
 この頃になると、青空が広がり陽光もさしてきました。もう一度、錦帯橋の写真をとり、最後の一瞥を投げていると…「名勝 錦帯橋 内務省」という石柱を見つけました。側面には「大正十一年三月八日指定」と記されています。
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 内務省か、ハーバート・ノーマン曰く、警察という最大の武器を有する官僚の総司令部ですね。(全集第2巻p.230 岩波書店) また、民主的団体や労働組合の指導者に対して脅迫や殴打などの暴力行為を行なう秘密協定を、有力な右翼団体と結んだという指摘(p.268)も銘肝しておきましょう。日本の近現代史を理解する上で、内務省・特別高等警察・右翼・憲兵がいかに民主的な動きを圧殺していったかを知ることは欠かせないと愚考しますが、教科書ではまず取り上げられていませんね。不思議です。やはりその末裔たちが、今の日本を管理統制しているということなのでしょう。そうそう、この地震列島に核(原子力)発電所をこれでもかこれでもかと乱立させた二人の張本人、正力松太郎(もう一人は中曾根康弘)はこの頃、内務省にいたのではないでしょうか。今、ウィキペディアで調べてみたところ、はい、いましたいました。前年に内務省警視庁官房主事になっています。ちなみに翌年に起きた関東大震災で、朝鮮人暴動の噂を流布させ、自警団による虐殺の遠因をつくったのは彼ですね。敗戦後はA級戦犯に指定されますが、不起訴・釈放。その後、読売新聞社主として君臨したのは周知の通りです。彼と原発の関係については、「原発・正力・CIA」(有馬哲夫 新潮新書249)の書評をご覧ください。ま、簡単に言うと、日本への原発売り込みを図るCIAと、原発利権を資金源に総理の椅子を狙う正力の利害が一致し、この両者が協力しながら導入と建設を推し進めたということですね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-23 06:19 | 山陽 | Comments(0)