2012年 07月 26日 ( 1 )

水俣病申請打ち切り

 政府は水俣病患者に対して、地域や年齢で救済対象者を限定し(いわゆる"線引き")、たとえ一定の症状があってもこれを放置してきました。しかもあろうことか、2012年7月末には水俣病特別措置法における申請を締め切り、救済の門戸を閉ざし被害者を切り捨てようとしています。しかし朝日新聞も報道したように(2012.7.1)、線引きの外にされた天草地方では、検診の結果、多数の水俣病患者がいる可能性が高いことがわかっています。ということは、福島第一原発事故に対する政府と東京電力の今後の対応も、ある程度見えてきますね。まともな被害調査はせず、あらゆる努力を尽して被害をできるだけ過小に見積もり、補償を最小限に抑えるとともに、熱さが喉元を過ぎほとぼりがさめみんなが忘れ、まるでそんな事件はなかったかのように歴史から抹消されるのをじっと待つ。そして人びとの眼をこうした事件から逸らすために、"愛国心"を強要し、あるいはサーカスへと関心を逸らす。(もうパンはくれないようですね) 水俣病申請締め切りを2012年7月末に設定したのは、ロンドン・オリンピックで国民の皆さんが浮かれているタイミングに合わせるため、というのは穿ち過ぎでしょうか。
 反原発運動が盛り上がりつつあるのはたいへん嬉しいのですが、その一方で水俣病が静かに忘れ去られようとしています。居ても立ってもいられないのですが、為す術もない己の無力さに打ちひしがれています。そんな中、昨日放映の「クローズアップ現代」(NHK)がこの問題を取り上げ、さらに長い間水俣病と向かい合ってきた作家・石牟礼道子氏へのインタビューがありました。嗚呼、録画しておくのだったと今更後悔しても後の祭り。肝に銘じ、魂に刻み、語り継ぎたい言葉がいくつかあったので、紹介いたします。なお、もし正確に引用できていなければ、もちろん総て小生の責任です。
 (上京して政府に救済を訴えたある患者) 道子さん、日本という国はなかった。

 (四年前に亡くなったある患者) 許す。国もチッソも、差別した人も。許さないと苦しくてしようがない。でも生きたい。

 私たちは許されて生きている。なんて罪深い。

 国はことの重大性をよくわかっており、なんとかしてごまかし、正当化しようとしている。

 人間の希望はわかりあうこと。

 政府は、水俣の人たちの心をズタズタにした。今日を無事に生きて、明日もおなじように生きていければいいと考える、特別な出世など望まない普通の人びとの心を。普通の人びとが大事なのだ。
 特に軽い眩暈を覚えたのは次の言葉です。
 国も、国民も、道徳的成長をとげようとしてこなかった。
 やはり国民の政治的・知的レベルを越えるような官僚・政治家は望むべくもない、ということですね。橋本治氏も言われたように、公僕達に鼻の先で笑われる程度の「ご主人さま」ではなくて、公僕達に敬意を払われるような「ご主人さま」になる―そのように、国民が成熟する以外、民主主義の生きる途はないのでしょう。原発再稼働、消費税値上げ、オスプレイ配備、そして水俣病申請打ち切り、普通の人びとを犠牲にする政府によって鼻の先で笑われ続けている私たち。さあどうしたら道徳的成長をとげ、知的レベルをあげ、成熟できるか。先ず隗より始めよ。
by sabasaba13 | 2012-07-26 06:17 | 鶏肋 | Comments(0)