2012年 12月 22日 ( 1 )

山形編(22):山形(11.8)

 そして一路、駅へと向かいます。「バキャーン」という看板を撮影しようと、デジタルカメラのシャッターに指を置き、流れ行く車窓の風景を見詰めていると…あった! とその時、山ノ神の「運転手さん、停めてください」という神の一声。キキーッ。「轢かれないように気をつけてね」と微笑む山ノ神。おお、比翼連理、偕老同穴、夫婦善哉、割れ鍋に綴じ蓋、あなた百までわしゃ九十九まで、俺の目を見ろ何にも言うな、互いに見つめる顔と顔、阿吽の呼吸、感謝感激雨あられです。そそくさと下車して至近距離から撮影。貴重な逸品を撮ることができました。
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 そして山形駅に到着、計ったように二時間ぴったり。運転手さんにお礼を言い、料金を支払って、ホテルのフロントで自転車を借り受けました。現在の時刻は午前十時ちょっと過ぎ、宿からの送迎車が大石田駅に13:40に来るはずなので、13:02発の新幹線に乗れば間に合います。よって手持ち時間は約三時間、昨日の落ち穂拾いをするには余裕の吉山良子さんです。まずは山形城址を整備した霞城公園へ、こちらにはお目当ての済生会があります。建築史家の藤森照信氏曰く、世界一ハデな病院。一目見た瞬間に、「おうおうおうおう、どこが病院だどこが」とからみたくなる奇天烈・破天荒な逸品です。下見板張りに瓦屋根にバルコニー、さまざまな形の積み木を無造作に積み上げたような塔屋、そしてドーナツ型の本館。いやはや、いったいどこの御仁が設計したのでしょう。竣工は1878(明治11)年、近代化を推し進めた山形県令・三島通庸の命令によって建てられたことははっきりしていますが、設計者は不明とのこと。藤森氏は『建築探偵 神出鬼没』(朝日新聞社)の中で、三島自らが設計したのではないかという仮説をたてられています。なお彼については、自由民権運動を苛烈に弾圧した県令であったことも忘れずに。喜多方事件(福島事件)は彼の手によるものであったし、加波山事件も三島の暗殺計画から端を発していました。
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 見学は無料、内部では当時の医学・医療関係資料やアルブレヒト・ローレツ医師の資料などが展示されています。その一画に「イザベラ・バードと明治の道」というコーナーがあったのでしげしげと見ていると…なに、天童に彼女の文学碑があるとな。私にとって、宮本常一とともに、後塵を拝したい旅の巨人。異文化に対する敬意と飽くなき好奇心、それらに裏付けられた行動力、今の私にはとても及びもつきませぬが一歩でも近づきたいと私淑しております。金山でも彼女の記念碑に出会えましたが、こちらも是が非でも表敬訪問したいものです。
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 バッグからポケット時刻表を取り出して紐解くと、11:56 山形発の新幹線に乗れば、天童で一時間ほど時間がとれます。決まり! 山形散策を二時間ほどで切り上げて天童に立ち寄ることにしましょう。念の為わなわなと震える手で当該の展示を撮影しておきました。なお、今、『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー329)を確認してみたところ、1878(明治11)年7月に山形を訪れた時に、彼女は次のように記していました。「大きな二階建ての病院は、丸屋根があって、百五十人の患者を収容する予定で、やがて医学校になることになっているが、ほとんど完成している。非常に立派な設備で換気もよい。(p.225)」 竣工した年ですから間違いないと思いますが、あの異形の建築を実見したわりには、拍子抜けするくらい淡々とした描写ですね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-22 09:27 | 東北 | Comments(0)