2013年 12月 31日 ( 1 )

メサイア

c0051620_814295.jpg 12月23日、山ノ神と一緒にヘンデルの『メサイア』を聴いてきました。場所はサントリーホール、鈴木雅明の指揮によるバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏です。生で聴いてみたいものだと以前から思っていたのですが、やっと願いが叶いました。なおシュテファン・ツヴァイクに、『人類の星の時間』(みすず書房)という傑作があります。ナポレオン、レーニン、ゲーテ、ドストエフスキーといった歴史的人物の人生における、いや世界の歴史における決定的な瞬間となった一日を描いためっぽう面白い本ですが、その中にヘンデルも登場します。「ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活 1741年8月21日」という一編ですが、当時の彼は脳溢血による右半身不随と奇跡的復活、しかし女王の崩御による上演の中止やオーストリア継承戦争の勃発、異常な寒さや聴衆の無理解といった不運やトラブルに襲われ、借金と絶望の深淵に落とされます。そしてこの日、かつて一緒に仕事をした詩人ジンネンスから送られてきた新作の詩が彼を奮い立たせ、ほぼ不眠不休で作曲に打ち込みわずか24日間で『メサイア』として結実するわけです。その詩をヘンデルが呼んだ瞬間を引用しましょう。
 最初の句を読んで彼はハッと愕いた。Comfort ye-台本はこの言葉で始まっていた。「慰めあれ!」この言葉は不可思議な力を持っていた-いや、もはや言葉ではなかった。それは神から与えられた答であった。悲嘆に荒れた彼の心へ、運命をみちびく天の奥から呼びかけた天使の叫びだった。「慰めあれ!」-何たるひびきだったろう。何とこの言葉は! そしてこの言葉を読み、その意味を深く感じるやいなや、ヘンデルにはそれが音楽となって聴こえた。それは音となって漂い、呼び、ざわめき、歌った。おお、この幸福よ、扉は急に開け放たれた。彼は感じた、彼は聴いた、ふたたび音楽を通じて! (p.106)
 その奇跡とも言える曲に包まれるのを楽しみに、騒音に満ちた師走の赤坂をホールへと向かいました。開演は午後三時、厳粛な序曲の後、ヘンデルに神が与えた答、"Comfort ye"という言葉がテノールによって紡ぎ出されて、キリストの誕生から受難、復活、救いの完成までを3時間かけて辿っていく『メサイア』のはじまりです。第一部は救世主到来の預言と誕生を描きます。私の大好きな「私達のために一人の嬰児が生まれた」をはじめ、愛と喜びにあふれた名曲が目白押し。なお舞台に搭乗した独唱者が男性三人・女性一人だったのでちょっと怪訝に思っていましたが、なんてことはない、カウンター・テナー(ダニエル・テイラー氏)がアルトのかわりだったのですね。生で聴くのははじめてだったのですが、その艶やかな歌声にはすっかり魅了されました。
 ここで二十分間の休憩がはいります。そして第二部は救世主の受難と復活、そして福音が広まっていく様子が描かれます。弦楽器によって執拗に刻まれる付点音符のリズムは、救世主が鞭で打たれる情景を暗示しているのですね、解説で知りました。最後をしめくくるのがハレルヤ・コーラス。バルブのないナチュラル・トランペットをはじめて聴きましたが、たいへん難しそうですね。そして第三部は復活した救世主への賛歌です。最後を飾るのはアーメン・コーラス。ツヴァイク曰く、"今やヘンデルは、このたった二つの音綴(シラブル)からできている短い語(Amen)をつかんで、それを天にまで届く音の段階建築に建て上げようと思った"。(p.112) まさしく音の大伽藍に身も心も包まれ、言い様のない充実感とともに幕は閉じられました。アンコールは指揮者のご子息である鈴木優人氏編曲の讃美歌「あめにはさかえ」、合唱の美しい響きにうっとり。人間の声ってほんとうに素晴らしい楽器なのだとあらためて痛感しました。
 鈴木雅明氏の指揮もバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏・合唱も、けっして大言壮語はしませんが、すんなりと音楽に入り込むことができる真摯かつ誠実なものでした。機会を見つけてまた聴きにきたいと思います。

 アイルランド旅行の際に、『メサイア』が初演された聖パトリック大聖堂を訪れたことを二人で思い出しながら、"金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい"という救世主の言葉などどこふく風と、ブランド品や広告が渦巻く赤坂の街を足早に歩きぬけ家路につきました。
by sabasaba13 | 2013-12-31 08:15 | 音楽 | Comments(0)