2014年 02月 15日 ( 1 )

イタリア編(74):トレ・チーメ(12.8)

 湖のはしには稼働中のリフトがありましたが、山の上から見下ろすミズリーナ湖も素敵でしょうね。のぼってみたいのはやまやまですが、時間の関係で泣く泣くカット。再訪を期しましょう。幹線道路に出ると、湖畔に緑の芝生が広がり、家族連れやサイクリストが三々五々バカンスを楽しんでおられました。ミズリーナ湖はちょうど瓢箪のような形をしており、奥まった方の湖面は穏やかだったのですが、こちらに来ると先程のように漣がたち、周囲の背景は湖面に映っていません。でもフタコブラクダのような偉丈夫な山や滴るような緑色の森林が、また格別な眺めです。
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 湖上でボート遊びをする人たちを眺めながら、てくてく歩いてバス停へ。のんびりと漫歩して、湖一周に一時間二十分ほどかかりました。バス停の前には、ここに幸あり、無料の公衆トイレがあったので利用させていただきました。
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 10:35、定刻通り、トレ・チーメ行きのバスが到着。さっそく乗り込むと、やはり満席ではなく並んで座ることができました。近くにあるアントルノ湖を車窓から眺め、ゲートを抜けると、木一本はえていない荒涼たる岩山を縫うように、バスは山道をぐんぐんとのぼっていきます。
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 言葉を失うほどの自然の造形美、たくさんのハイカーやサイクリストがやってくるのも宜なるかな。
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 そして11:00ごろにトレ・チーメの駐車場に着きました。帰りのバスは14:30発なので、余裕をもってハイキングができるものと思われます。なお駐車場の近くにも無料トイレがありました。
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 坂道をのぼってアウロンツォ小屋(Rifugio Auronzo)まで行き、ここから山の斜面にしつらえられた兵站な砂利道を歩いていきます。幾重にも連なる山々の風景は、まさしく空気遠近法。手前に咲く野の花とあいまって素晴らしい景観です。チンクエ・トッリにもあった赤白のペンキがちゃんと岩に塗られているので道に迷う心配はありません。というか、まったくの一本道なので迷いようがありません。
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 小さなお堂を通り過ぎるあたりから、左上方にトレ・チーメらしき岩山が見えてきましたが、ガイドブックに掲載されていた荘厳なお姿とはかなり形が違います。とりあえず先へと歩を進めましょう。
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 バス停から四十分ほどでラヴァレード小屋(Rifugio Lavaredo)に到着、ここでトイレ休憩をとりました。バーが設置された有料トイレ(0.5ユーロ)ですが、どうやら故障しているらしくロハで使うことができました。
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 さて、ペットボトルの水を飲みながら看板の地図を確認すると、どうやら眼前の坂道を右へとのぼっていき尾根を越えると、トレ・チーメの向こう側に出られるようです。さあ出発、荒涼とした砂利の坂道を十数分のぼって尾根に辿り着くと…
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 嗚呼、この旅で息を呑んだのは何度目でしょうか。三本の巨大な石柱が寄り添うようにすっくと屹立しています。手前から、2857mのチーメ・ピッコラ(Cime Piccola:小峰)、2999mのチーメ・グランデ(Cime Grande:大峰)、2973mのチーメ・オベスト(Cime Ovest:西峰)と呼ばれる三人の巨人。凄い… ただ呆然と立ち尽くすのみ…
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 自然、あるいは神はなぜこのような荘厳な造形をつくり給うたのか。気を取り直して写真を撮りまくりましたが、肌に粟を生じるような感銘は消えません。『あしたはアルプスを歩こう』(講談社文庫)の中で、ルイージ・マリオさんが言われた言葉、「山を登っていると、自分ではない大きなものと一体になる感覚がある」(p.55)を思い起こしました。また角田光代さんは、こう言われていました。
 自然、という言葉を持ち出すとき、大切にしなければならないもの、私たちが守るべきもの、とどうしても考えてしまう。けれど今回、私が目にした自然は、あまりにも巨大で、私の理解をはるかに越えていて、「大切にする」「守る」ような対象ではないと知った。私たちは守るのではなく守られなきゃならないのだ。やさしいだけではないし、美しいだけでもない自然に、守られて暮らす。そういう敬虔さを、だれもが持っていた。
 マイペース、自然体、敬虔さ、寛容さ、いい加減さ、彼らがごく自然に身につけているそれらは、きっとドロミテの異様な山々に培われたものなのかもしれない。(p.135~6)
 "あまりに巨大で、理解をはるかに越えた自然"、まぎれもなくそこに現前しているものです。資源を浪費し自然を破壊しながら、矮小な快楽を追い求め続けている人間たちを、どういう思いで見ているのでしょうか。所詮人間は"二本足の酒袋"、その身の丈に合ったほどほどの暮らしができないものですかね。"われらに護ることの可能な智恵は、ただ謙譲の智恵だけだ。謙譲には終止がない"、T・S・エリオットの言葉です。二人で岩場に腰を下ろし、しばしの間大自然が創り出した驚異にただただ見惚れるのみ。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-02-15 09:46 | 海外 | Comments(0)