2014年 10月 29日 ( 1 )

『敗れざる者たち』

 朝日新聞夕刊(2014.10.10)に、1964年の東京オリンピックのマラソンで、ゴール直前に円谷幸吉を抜き去り、銀メダルを獲得したバジル・ヒートリーが来日して、円谷の故郷を訪れたというニュースが載っていました。まあたんなる美談として聞き流せばいいのでしょうが、彼の名前を聞くと心がちくりと痛みます。
 同記事は"円谷さんは東京五輪の直後、「68年のメキシコ五輪を目指す」と宣言したが、68年1月、「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書をのこし、27歳で自ら命を絶った"と紹介するのみです。ただそれだけ。なぜ彼が自殺をしたのか、その原因についての言及はありません。走ることに疲れたアスリートの自殺ということだけで片付けてよいとは思えぬ背景があるのですが。彼をそこまで追いつめたのは何か、鋭く追及した優れたスポーツ・ノンフィクションがあるので紹介します。
 それは沢木耕太郎による『敗れざる者たち』(文春文庫)。ボクサーのカシアス内藤と輪島功一、円谷幸吉、野球選手の榎本喜八と難波昭二郎、競走馬のイシノヒカルなど、もはや忘れ去られたけれど忘れ難い者たちを哀惜と共感をもって描いた連作です。いずれも面白いのですが、中でも円谷幸吉を描いた作品が出色。そのあまりの切なさに心が痛みます。
 実は、彼は競技の際に一度も振り返らないのですね。振り返ってヒートリーが迫っているのを視認すればそれなりの駆け引きもできたはず。本書によると、小学生の時の徒競走で振り返り、厳父に叱責されたそうです。「男が走り出したら振り向くな」と。(p.105) また中学時代の担任はこう語っています。「あの子は、目上の人のいうことは悪いわけがないという感じ方を持っていたから、上の命令はよく守った」(p.108) また円谷と苦楽を共にした教官・畠野洋夫に出した手紙の中で、彼はこう書きます。畠野がいなくなって自分のことを叱り命令してくれる人がいなくなった、すべて自分の思うようになる、それが辛い、と。(p.138)
 権威への服従、批判精神の欠如、そして自我の消失。ハードな練習によって体を壊しつつも、彼は上官のため、仲間のため、父親のため、そして何より自衛隊という組織のために走り続けます。その彼のはじめての自己主張とも言うべき行為が、好きな女性との結婚でした。しかし…
 恐らく事情はこういうことだった。縁談はまとまり、細部まで決まったが、そこに思いがけぬ邪魔が入った。体育学校の上官から「待った」がかかったのだ。メキシコに行けるかどうかもわからないのに結婚どころではないはずだ、というようなことだったろう。いくら自衛隊といっても個人の私生活にまで干渉はできない。だが、その「参考意見」は、父親の幸七にしてみれば命令も同然だった。幸七はそういうタイプの人間だった。その上官は、それを見越して意見を述べたのかもしれない。(p.129)
 個人を犠牲にしてまでも、己の利益を貫徹しようとする組織の冷徹さ。結局、円谷は婚約を破棄します。円谷のために上官に異を唱えた畠野洋夫は北海道へ左遷され、そして婚約者は彼がくれたお土産を詰めた箱を車で運んできて、それを返すとすぐに帰ってしまったそうです。彼の胸中に飛来したものは何か。孤独、絶望、責任、義務… もはや誰にもわかりませんが、彼が自殺という結末を選びます。

 さて、彼を死に追いつめたものは何だったのでしょう。それは今の社会から払拭されたのでしょうか。円谷幸吉、忘れられない、そして忘れてはいけないアスリートです。
by sabasaba13 | 2014-10-29 06:31 | | Comments(2)