2015年 12月 31日 ( 1 )

『人間の戦場』

 「DAYS JAPAN」を読んでいたら、元編集長でありフォト・ジャーナリストの広河隆一氏を描いた映画『人間の戦場』が、新宿のK's cinemaで上映されていることを知りました。これは必見ですね、山ノ神を誘って師走の終わりに見に行ってきました。
 せっかくなので、新宿で昼食をとることにしましょう。ホールや映画館に行く楽しみの一つは、その付近で美味しいお店に出会えることです。渋谷アップリンクと「バイロン」のパン、ポレポレ東中野と「十番」のタンメン、オペラシティと「つな八」のてんぷら、浜離宮朝日ホールと「磯野屋」の寿司、新国立劇場と「はげ天」のてんぷら、東京文化会館と「池之端藪」の蕎麦、東京芸術劇場と「鼎泰豊」の小籠包、津田ホールと「ユーハイム」の洋食、岩波ホールと「揚子江菜館」の上海式肉焼そば・「スヰート・ポーズ」の餃子などなど。新宿といえば、やはり中村屋でしょう。日本の近代文化を語るうえで欠かせないお店ですね。創業者は相馬愛蔵・黒光、料理店を営むかたわら、荻原碌山・中村彝・戸張弧雁といった多くの芸術家を育て、また亡命者を助けた夫妻です。なお黒光の自伝『黙移』(平凡社ライブラリー)はとてもおもしろいですよ。そしてこちらの名物料理のひとつが純印度式カリー。日本に亡命したインド独立運動の指導者ラース・ビハーリー・ボースを、相馬夫妻が匿ったさいに伝授してもらった料理です。彼にとって、イギリス人が作り変えたカレーではなく、伝統的なインド・カリーを広めることは、植民地化された食文化を主張する反植民地闘争の一環だったのですね。だから中村屋では「カリー」という商品名を使い続けているのでしょう。なお夫妻の長女・俊子がボースと結婚しています。もっと詳しく知りたい方は『中村屋のボース』(中島岳志 白水社)がお薦めです。
 映画館でチケットを購入して整理券をいただき、五分ほど歩いて新宿中村屋に到着。開店五分前したが、もう待っている方が数人おられました。スパイシーなカリーに舌鼓を打って「恋と革命の味」を堪能。
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 珈琲を飲み終えてトイレへ行こうとすると中村彝の絵が飾ってあります。荻原碌山の彫刻『坑夫』も展示してありました。これは眼福ですね。
まだ時間があるので、山ノ神は中村屋でお買いもの、私は紀伊国屋書店に行って所望の本をさがすことにしました。実は内田樹と福島みずほの対談『「意地悪」化する日本』(岩波書店)をセブンネットショッピングで購入しようとしたのですが、どういうわけか検索をかけても出てきません。自民党に都合の悪いことが書いてあるので、意地悪されたのでしょうか。案内所へ行くと、となりの書架は海外文学のコーナーでふと目をやるとカート・ヴォネガットの『はい、チーズ』(河出書房新社)がありました。嬉しいですね、未読の作品です。係の方に案内されて、『「意地悪」化する日本』も購入することもできました。美味しい料理に楽しみな本、これぞ人生の至福です。

c0051620_841163.jpg そして山ノ神と合流して映画館へ、客席がまばらなのがすこし残念。さあはじまりはじまり。冒頭のシーンは荒涼とした風景、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区です。ユダヤ人の入植に反対するデモ隊に催涙弾を放つイスラエル警察、逃げまどうパレスチナ人、拘束される男性。胸がしめつられるような緊迫感のなか、催涙ガスを浴びながらも淡々とカメラのシャッターをきりつづける男がいます。そう、広河隆一です。彼がフォト・ジャーナリストを志したきっかけが、このパレスチナの地だったのですね。学生運動に取り組んだ彼は、卒業とともに社会と折り合いをつけて就職していく仲間たちに違和感を覚え、理想を求めてイスラエルの農業共同体「キブツ」に参加します。しかしそこで白い瓦礫を目にし、この土地がパレスチナ人から奪われたものであることに気付きます。「自分ができる一つのことは、まず歴史から消えてゆく村、それを消えていかないようにするという事」と決意し、カメラを手にします。以後彼は、『沈黙を破る』でも紹介したイスラエルによるパレスチナ人への迫害を取材していくことになります。
もう一つの転機が1976年、息子をイスラエル軍に殺された男性が、取材中の広河にこう叫びます。「なんで今ごろ来たんだ! 1か月前に来ていれば俺の息子は殺されずに済んだんだ。外国人ジャーナリストという証言者がいるところでは、権力側は銃での殺害などといった暴挙ができない。だからお前がいてくれたら息子は死なずに済んだかもしれない」 これで彼は、ジャーナリストが抑止力をもつことを教えられたといいます。饒舌さのかけらもない、訥々としかし真摯に誠実にカメラに語る広河隆一の姿が心に残ります。
 以後彼は、村上春樹のレトリックを借りれば、壁ではなく卵の側に立つことを決意します。人間の尊厳が奪われている場所を「人間の戦場」と呼び、以後、チェルノブイリや福島といった戦場を精力的に取材し続けます。そして映画で紹介されたのは、彼の救援活動です。「パレスチナの子どもの里親運動」、「チェルノブイリ子ども基金」、「DAYS被災児童支援募金」、そして福島の子どもたちの保養センターである「沖縄・球美(くみ)の里」の運営。彼の言葉を紹介します。
 ジャーナリストは見たものを伝えるのが仕事で、それ以上介入すべきでないと言う人があるけれど、それは間違いだと思う。ジャーナリストである前に、自分が何かと言ったら人間です。人間という大きなアイデンティティのなかに、ジャーナリストというアイデンティティが包まれているんです。だから目の前で溺れている人がいればカメラを置いて助けなくちゃいけない。世界中の人間が共通にもっている権利は生きる権利、しかも幸せに健康に生きる権利です。そうした人々の権利がジャーナリストの背中を押すのだから、それが目の前で踏みにじられているときに、自分は写真を撮るだけなんて言えるわけがない。ジャーナリズムと救援運動は、同じ目的のためのはたらいている二つの方法だと思う。
 「フェルキッシャー・ベオバハター」のようなメディア、壁の側に立つジャーナリストに満ち溢れている現在の日本、そうしたジャーナリストたちにぜひ見てほしい映画です。
なお監督は長谷川三郎、彼の作品である『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』も見てみたい映画です。

 追記。家に帰る途中にこんな貼り紙を見かけました。日本全体を戦場に変えつつある安倍伍長、ほんとうに許せないですね。
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by sabasaba13 | 2015-12-31 08:06 | 映画 | Comments(0)