2017年 11月 08日 ( 1 )

関東大震災と虐殺 32

 さて、この9月6日に、やっとのことで戒厳司令部は朝鮮人の虐殺や彼ら/彼女らへの暴行をやめさせるための「注意」を発表しました。「朝鮮人に対し其の性質の善悪に拘らず、無法の待遇をなすことは絶対に慎め、等しく我同胞であることを忘れるな」「之に暴行を加へたりして、自ら罪人となるな」という強い調子のものです。とはいえ、"其の性質の善悪"、つまり暴動・放火を行なった悪い朝鮮人もいたのだという表現をしのびこませて、軍隊・官憲の責任を免れようとしているのは見逃せません。ほんとうに姑息で下劣ですね。さらに、「有りもせぬことを言触らすと処罰されます」というビラ10万枚を各地で配布するなど、政府・軍の流言に対する態度は、はっきりと否定的になりました。こうしてようやく、9月1日から続いてきた流言と虐殺は収束にむかましたが、惨劇の余波は、まだしばらくは続くことになります。(⑨p.102)

 既述のように、9月5日より開始された習志野収容所への朝鮮人移送が、6日以降、本格化します。くりかえしますと、まずは独立運動・労働運動・社会主義運動に深く関わっている、あるいは軍・警察が犯した"不都合な真実"を知り過ぎた要注意の朝鮮人を優先して移送します。そしてそれに該当するかどうかはっきりしない多数の朝鮮人を移送して捜査・尋問を行ない、「順良」な朝鮮人と、前記のような「不逞」(日本の国家権力にとって目障りな)朝鮮人を分ける。そして前者は「保護」し、後者は…

 その移送の状況を生々しく伝えてくれる証言があるので紹介します。9月5日夕刻、亀戸署から習志野への移送で、証言者は歌人の浦辺政雄氏です。
 習志野に送られる朝鮮人の列を見た。…亀戸の南側には竪川にそって、千葉街道が小松川橋につづいている。そこまで来たときのことだ。千葉街道に出ると朝鮮人が一〇〇〇人に近いなと思うほど四列に並ばせられていました。亀戸警察に一時収容されていた人たちです。憲兵と兵隊がある程度ついて、習志野のほうへ護送されるところでした。もちろん歩いて。列からはみ出すと殴って、捕虜みたいなもので人間扱いじゃないです。それほどけがをしているようすはなかったです。包帯なんてしていないですよ。手当てなんかしてくれない。僕は当時純粋の盛りですからね。この人たちが本当に悪いことをするのかなって、気の毒で異様な感じでした。羅漢寺は当時はいまの江東総合区民センター(地下鉄西大島駅の上)のところにありました。いまも『五百羅漢跡』という石塔が立っています。道ももっと細かったし、二〇メートルぐらい引っ込んでいました。いまの羅漢寺より小さくて、右隣はちょっと離れて銭湯でした。そして両方の裏手が羅漢寺の墓地になってたんです。ここまできたら、針金で縛って連れてきた朝鮮人が、八人ずつ十六人いました。さっきの人たちの一部ですね。憲兵がたしか二人。兵隊と巡査が四、五人ついているのですが、そのあとを民衆がゾロゾロついてきて『渡せ、渡せ』『俺たちのかたきを渡せ』って、いきり立っているのです。銭湯に朝鮮人を入れたんです。民衆を追っ払ってね。僕も怖いもの見たさについてきたんだけど、ここで保護して習志野へ送るんだなあと。よかったーって思いましたよ。それで帰ろうと思ったら、何分もしないうちに『裏から出たぞー』って騒ぐわけなんです。何だって見ると、民衆、自警団が殺到していくんです。裏というのは墓地で、一段低くなって水がたまっていました。軍隊も巡査も、あとはいいようにしろと言わんばかりに消えちゃって。さあもうそのあとは切る、刺す、殴る、蹴る、さすがに鉄砲はなかったけれど、見てはおられませんでした。十六人完全にね。殺したんです。五、六〇がかたまって、半狂乱で。
 "抗はぬ朝鮮人に打ち落ろす鳶口の血に夕陽照りにき"
 これはこのとき詠んだものです。ちょうど夕方四時半かそこらで、走った血に夕陽が照るのが、いまだに六十何年たっても目の前に浮かびます。自警団ばかりじゃなくて、一般の民衆も裸の入れ墨をした人も『こいつらがやったんだ』って夢中になってやったんです。(①p.199~201)
 前出の南葛労働組合活動家・全虎巌(チョン・ホオム)氏は、その背景についてこう証言されています。(①p.197~9)
 巡査の立話から聞いたことですが『国際赤十字』その他から調査団が来るという事が虐殺をやめた理由だったのです。六日の夕方からすぐ隣りの消防署の車二台が何度も往復して虐殺した死体を荒川の四ツ木橋のたもとに運びました…死体を運び去ったあと警察の中はきれいに掃除され死体から流れ出した血は水で洗い流し何事もなかったかのように装われました。調査団が来たのは七日の午前中でした。虐殺を免れた同胞は七日の午後、警察の庭に集合させられました。そして何の説明もうけず亀戸の駅に行き、線路づたいに歩かされました。私達の周りは武装した騎兵が取囲み、重々しい空気が流れていました。私は一人一人殺すのが面倒くさくて機関銃などで一度に殺す目的でどこかに連れていくのだとしか考えられず足が地につきませんでした。
 国際機関の来訪を前に、虐殺の痕跡を隠蔽し、その犯行を告発する恐れのある者を急遽隔離したことが分かります。また浦辺氏の証言に出てくる、軍・警察が故意に自警団に引き渡して殺させた十六人は、外国調査団の来訪で処刑できなくなった死刑予定者であった可能性があります。知り過ぎていた者、あるいは民族主義者・社会主義者ですね。しかも、自らの手ではなく、民衆によって"死刑"を執行させる。狡猾かつ卑劣な手段です。
by sabasaba13 | 2017-11-08 06:31 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)