2017年 11月 18日 ( 1 )

関東大震災と虐殺 37

 9月16日、いわゆる甘粕事件が起こります。スーパーニッポニカ(小学館)と国史大辞典1(吉川弘文館)を参考にして、概要を紹介します。

 無政府主義者の大杉栄はこのころ柏木に住み、みずから夜警にも参加していました。16日、妻の伊藤野枝とともに鶴見に住む妹を見舞い、その子橘宗一を同行しての帰り、東京憲兵隊麹町分隊長甘粕正彦大尉らに連行され、憲兵隊本部において3人とも絞殺され、遺体は古井戸に投げ込まれました。大杉が行方不明になると、友人安成二郎らが探索を始め、9月20日の『時事新報』『読売新聞』も号外で大杉殺害を報じたので、軍も隠しきれず、また軍と警察の対立もあって、同日付けで甘粕を軍法会議に送致し、福田雅太郎戒厳司令官を更迭、小泉六一憲兵司令官、小山介蔵東京憲兵隊長を停職処分とし、24日に事件の概要を発表しました。軍法会議は12月4日、甘粕に懲役10年、憲兵隊の森慶次郎曹長に同3年、部下3名に無罪の判決を下しました。犯人は麻布歩兵第三連隊といわれますが、そこには秩父宮がいるため甘粕らが身代りになったといわれます。1923年12月26日の大杉の葬儀の際、遺骨が右翼団体大化会の岩田富美夫らに奪われました。その報復のため無政府主義者古田大次郎らは翌年9月1日、福田雅太郎大将狙撃事件を起こします。この大杉の死によりアナキズム運動は大打撃を受けることになりました。
 なお甘粕雅彦のその後ですが、1926年10月に釈放され、陸軍の費用で渡仏しました。そして1929年には満洲に渡って諜報謀略活動に従事し、協和会総務部長、満洲映画協会理事長を歴任し、大いに権勢を振るったのは、この事件の代償といわれます。1945年8月20日、ソ連軍による侵攻のなか自殺、辞世は「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」でした。
 既述の王希天事件は、功名心に駆られた現場の暴走という面が強いように思いますが、この甘粕事件は感触が違います。混乱が収まり、社会主義者による蜂起はないとほぼ判明した状況の中で起きた事件です。国家権力にとってこの先も有害な大杉栄を、軍あるいは政府の中枢が命令して殺させた計画的事件ではないでしょうか。戒厳令が解除されないうちに、"処理"してしまおうとしたのかもしれません。

 そして自警団の検束と検挙が、9月17日から東京で、9月19日から群馬・埼玉で、9月20日から横浜・千葉ではじまりました。しかし当然の如く、流言を流布し殺人を教唆・黙認し、みずからの手も血で染めた官憲の責任を不問にしてよいのかという声があがります。例えば上杉慎吉(法学者)は「警察官憲の明答を求む」とし、「憲兵方面では甘粕大尉が軍法会議に移されたと云うだけで、大杉と野枝と子供と三人ころしたと云う事実はまだ疑わしいのに、断然司令官迄が責を引きたるが如く警察や政府の方面でも即時罷免其他責任を明にする処置を執らねばならぬであろう」(『国民新聞』1923.10.14)と指摘しています。また菊地義郎(植民政策学者)らも、自警団の幹部、行動右翼、町村長などが自警団員の罪に比べて「人殺しまで逆上させた宣伝役を今なお縛らないのはなぜか」「一段と油をかけて逆上させ後で縛るなんて芸は部下の警察ではやるまいな」「県知事は恥知らずの標本」「内相の責任重大」などと騒ぎ、牽制の詰問状を発し、「死を賭しても汚名を雪ぐ」とすごみ、「私は三田警察署長に質問する。九月二日の夜××襲来の警報を貴下の部下から受けた私どもが御注意によって自警団を組織した時『××と見たらば本署につれてこい、抵抗したら○しても差し仕えない』と親しく貴下からうけたまった、あの一言は寝言であったか、それとも証拠のないのをいいことに覚えがないと否定されるゝのか」(『東京日日新聞』 1923.10.22)と、官憲の責任を鋭く追及しています。(①p.254~5)

 自警団の側からも批判は起きました。例えば関東自警団同盟からは、次のような声があがっています。(①p.251~2)
 災害当時我等に告げて『某々方面より鮮人襲来の虞れあり男子は武装せよ女子は避難せよ鮮人とみれば倒(殺)しても差支へない、主義者と判れば殴っても宜い彼らは凶器を携へて到る処に殺人強盗陵辱放火等あらゆる悪事を働いている』とふれ廻ったのは何者であったか。

 警察と軍隊との欠を補って…一命を賭して防禦の任に当たった幾多の同志は何れも殺人暴行傷害の極悪人として起訴収監せられつゝあるではないか。

 若しそれ防禦のための過失が果して悪いとするならば自警団以外の手によって行われた多くの殺人傷害はこれまた何とする。
 最後の批判は痛烈です。自警団による朝鮮人殺人が犯罪ならば、"自警団以外の手"、つまり軍隊や警察が行なった殺人も犯罪ではないのか、ということですね。もっともです。その上で次の六項目の決議を当局につきつけました。
決議
我等は当局に対して左の事項を訊す
一、流言の出所につき当局がその責を負わずこれを民衆に転移せんとする理由如何
二、当局が目のあたり自警団の暴行を放任し後日に到り其の罪を問はんとする理由如何
三、自警団員の罪悪のみこれを天下にあばき幾多警官の暴行はこれを秘せんとする理由如何
我等は当局に対して左の事項を要求す
四、過失により犯したる自警団の傷害罪は悉くこれを免ずること
五、過失により犯したる自警団の殺人罪は悉く異例の恩典に浴せしめ採決すること
六、自警団員中の功労者を表彰し、とくに警備のために生命を失いたる者の遺族に対しては適当に慰藉の方法をとること (『報知新聞』 1923.10.23)
 自警団による殺人・暴行を免責してくれないのならば、警察による流言の流布と殺人・暴行をあばいて道連れにするぞという恐喝ですね。軍隊による殺人・暴行にまで踏み込んでいないのは、腰が引けたのでしょう。よって何とかして責任を免れ隠蔽したい官憲としては、法治国家という体面上、形だけ裁判にかけるが、できるだけ寛典に処すというスタンスをとることになりました。
by sabasaba13 | 2017-11-18 06:32 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)