2017年 11月 25日 ( 1 )

関東大震災と虐殺 40

 こうして国家権力が主導し、それに民衆が便乗し、「関東大虐殺」の実態を矮小化し、その責任を免れたのでした。その後も、そして現在に至るまで、日本政府はその責任を隠蔽し続け、朝鮮人・中国人虐殺事件についての日本政府による公的な調査、謝罪と補償はまだなされていません。
 1925年に、警視庁編・刊『大正震災誌』と神奈川県警察部編・刊『大正大震火災誌』が発行されましたが、流言流布の責任を民衆のみに押し付けあります。敗戦後(!)の1949年に発行された『関東大震災の治安回顧』(吉河光貞 法務府特別審査局)においてすらも、官憲の責任を全く隠蔽してあります。(④p.91)
 軍隊が虐殺に直接かかわったことを示す決定的な史料(「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル事件調査表」)を東京都史料館所蔵の『陸軍震災資料』の中から発見し、『関東大震災政府陸海軍関係史料』(日本経済評論社 1997年)におさめた松尾章一氏によると、その直後からこの史料は一般閲覧できなくなったそうです。(⑦p.5) いやはや、その卑劣さ・下劣さの深淵は測り難いものがあります。

 しかし研究者・弁護士・市民による真相解明の努力が粘り強く続けられていることは、忘れないようにしましょう。例えば、2003年8月25日、日本弁護士連合会は、在日朝鮮人文戊仙さんの人権救済申し立てに応えて同会の人権委員会が作成した「関東大震災救済申立事件調査報告書」を添えて、朝鮮人・中国人被害者とその遺族に対する謝罪、および事件の真相調査の勧告書を小泉純一郎首相に提出しました。しかし小泉首相の応答は全くなかったとのことです。もちろん今でも。

 そして朝鮮人に対する差別・蔑視・敵視意識は、払拭されることはありませんでした。その例は枚挙に暇がないのですが、いくつか紹介します。『昭和時代』(岩波新書275)の中で、文芸評論家の中島健蔵氏は次のように回想されています。
 その年(※1925年)の十月十五日に、小樽高等商業学校の軍事教官が野外演習の想定として大体つぎのような情況を学生たちに与えた。第一に「大地震があって、札幌や小樽が大損害を受けた、」というのはいいとしても、第二項は「無政府主義団は不逞鮮人を煽動し、この時期において札幌および小樽公園において画策しつつあるを知れる小樽在郷軍人団は、たちまち奮起してこれと格闘の後、東方に撃退したるが、…云々」というのである。しかも反抗が強いので、小樽高商の生徒隊に応急準備令が下って、「敵を絶滅」するために出動する、という情況が与えられたのである。
 関東大震災の思い出が、まだなまなましく人々の心に残っていたころだ。ことに学生生徒の演習として、これは、なんともひどい想定だ。これに対して、たちまちはげしい非難が起り、事実上、記録によれば、小樽港の三千の朝鮮人の人夫が関東大震災のときの生々しい記憶を思い出して騒ぎ出した。学校の外の労働組合も学生たちの政治研究会とともに軍事教育を攻撃して一応軍事教官にあやまらせたことになっている。(p.33~4)
 永井荷風は、『断腸亭日乗』に、朝鮮人差別の様相を記録しています。(③p.64)
 昏黒三番丁に往かむとて谷町通にて電車の来るのを待つ。悪戯盛りの子供二三十人ばかり群れ集り、鬼婆~鬼婆~と叫ぶが中には棒ちぎれを持ちたる悪太郎もあり、何事やと様子を見るに頭髪雪の如く腰曲りたる朝鮮人の老婆、人家の戸口に立ち飴を売りて銭を乞ふを悪童ら押取巻棒にて叩きて叫び合へるなり、余は日頃日本の小童の暴虐なるを憎むこと甚し、この寒き夜に遠国よりさまよひ来れる老婆のさま余りに哀れに見えたれば半圓の銀貨一片を与えて立ち去りぬ。(1930.1.8)

 此日の東京日日の夕刊を見るに大阪の或波止場にて児童預所に集まりいたる日本人の小児、朝鮮人の小児が物を盗みたりとてこれを縛り、逆さに吊して打ち叩きし後布団に包み其の上より大勢にて踏殺したる記事あり、小児はいずれも十才に至らざるものなり、然るに彼等は警察署にて刑事が為す如き拷問の方法を知りて、之を実行するは如何なる故にや、又布団に包みて踏殺する事は江戸時代伝馬町の牢屋にて囚徒の間に行われたる事なり、之を今、昭和の小児の知り居るは如何なる故なるや、人間自然の残忍なる性情は古今ともにおのずから符合するものにや、怖るべし、怖るべし、嗚呼怖るべきなり。(1936.4.13)
 アジア・太平洋戦争時、アメリカ軍による本土空襲が開始される前に、内務省はその混乱の中で、関東大震災の惨劇がくりかえされるのではないかと懸念しています。
 「殊に注意を要する傾向は段々空襲の危険性が増大するに連れまして、内鮮人双方共に関東大震災の際に於けるが如き事態を想起しまして善良なる朝鮮人迄内地人の為に危険視せられて迫害を加へられるのではないかとの杞憂を抱き又内地人の方面にありましては空襲等の混乱時にありまして朝鮮人が強窃盗或は婦女子に対し暴行等を加へるのではないかとの危惧の念を抱き双方に可成り不安の空気を醸成し果ては流言飛語となり其れは亦疑心暗鬼を生むという傾向のある事実であります。現に内地人の方面にありましては非常事態発生の場合の自衛処置として日本刀を用意し或は朝鮮人に対する警察取締の強化を要請する向があり就中一部事業主等にありましては杞憂の余り之が取締を警察の手より軍隊に移して貰い度いと公然と要望するに至って居る者もある様な状況であります。一方朝鮮人の側にありましては再び斯かる迫害を受くるに非ずやとの危惧の念より警察に保護を陳情する者がある様な状況にありますので一旦非常事態発生の際には細心の注意を万全の処置を講じて置くことがなければ不祥事件の惹起する危険性が充分にあるのであります」(警察部長会議に於ける保安課長説明要旨[1944.1.14]、内務省警保局保安課[治安状況に就て] 『集成』第五巻、p.15~7) (③p.66)

by sabasaba13 | 2017-11-25 06:30 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)