2017年 12月 31日 ( 1 )

関東大震災と虐殺 57

 こうした激甚な格差社会の原因と仕組みをきちんと考えて、「分配」を真っ当に行えば、ある程度は解決できたことと思います。しかし残念ながら民衆は、それに気づき、改革・改変することができませんでした。学力や批判精神を民衆につけさせない教育制度を整えた強者・富者側の勝利とも言えますが。そして民衆は、貧困に苦しみ、不安・不満・ストレス・無能力感を抱え込むことになります。官僚・軍人・財界からすれば、その刃がいつ自分たちに向けられるかわからないのですから、これは放置できません。貧富の格差を再生産するこのシステムを変えずに、民衆の苦しみやストレスを発散させ、真の原因から目を逸らさせるのはどうすればよいのか。あるいは、こうした悲惨な現実を忘れるために民衆は何をしたのか。

 まず集団への埋没です。民族や国家など大きくて強い集団に、自己を埋没させることですね。一人称単数の主語は消え、「日本」「日本人」と主語が大きくなり、自分も強く偉くなったような気がします。そして集団への同調圧力が高まり、これを拒否する者を「異分子」として排除・抑圧していく。日本には集団を象徴する恰好の素材がもうできあがっていました。そう、天皇です。天皇が象徴する「日本的なるもの」によって結ばれた同質社会の居心地良さに安住する、あるいは「万世一系」の天皇を敬愛することによって日本民族の一員としての矜持を感じる。そして国家=民族と一体化してその威信を高めることに身も心も捧げ、無能力感を相殺して全能感を得る。ジョージ・オーウェルに言わせると"個人がより大きな権力単位に帰一し、すべてを威信の競争という観点から眺める近代の狂気じみた習慣"です。こうして、格差社会によってもたらされた貧苦を束の間忘れることができるというわけです。

 なお見逃せないのが、個人が埋没するのが、国家という大きな集団だけでなく中間集団でもあるというおとです。個人と国家の間に位置する村・町・会社・軍隊・学校といった集団です。そこに帰属することによってプチ全能感を得ることと引き換えに、その集団に人格的に隷従しなくてはならないということですね。そこでは、集団内の秩序を乱す個人に対して、非法な制裁を実効的に加えることができ、国家から強い自律性を有しています。民衆は国家・中間集団という二つの集団に帰属することによって安心感と全能感を得、その見返りに人格的隷従を強いられたのだと思います。自我を沈黙させ、二つの集団の意向と空気に従っていれば、極めて居心地の良い世界だったことでしょう。でも森達也氏が言われたように(『DAYS JAPAN』16.3 p.50)、主語が大きくて強くなると、述語も「殲滅せよ」「成敗してやる」など強くて勇ましくなります。こうして不安やストレスなどを解消するために埋没した集団に、自衛という正義や大義が潤滑油として注入されるとその暴走が始まります。その際に、個人で止めることは不可能でしょう。例えば、朝鮮人虐殺の場にいた自警団員が「やめなさい」と制止したらどうなるか。また仲間と一緒に暴力をふるうことによって、集団との一体感をより強く感じようとする面もあったと思います。「みんなで悪いことをして仲良くなる」というメンタリティですね。
by sabasaba13 | 2017-12-31 07:16 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)