2018年 01月 25日 ( 1 )

近江編(64):長浜(15.3)

 その向かいにあるのが旧開知学校、1874(明治7)年に町民の寄付によって建てられた、洋風の木造校舎です。八角形の櫓が印象的ですが、これは2000(平成12)年に復元されたものだそうです。
 長浜駅前を走っていると、豊臣秀吉と石田三成の銅像がありました。解説を転記します。
秀吉公と石田三成公 出逢いの像

 長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩りの途中に観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺小姓の佐吉少年は、大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと持ってきました。秀吉公がもう一杯頼むと、少年は先ほどよりも少し熱いお茶を、茶碗に半分ほど差し出しました。そこで秀吉公は、さらに一杯所望したところ、今度は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出しました。秀吉公は、茶の入れ方ひとつにも気を配る佐吉少年を気に入り、召し抱えました。この少年が後の石田三成公で、この話は「三献の茶」として、今も語り継がれています。
 三成公は、ここから5キロメートル東の長浜市石田町の土豪の子として生まれ、今も出生地辺りには官名にちなんだ治部という小字が残っています。
 また観音寺には、茶の水を汲んだと伝わる井戸が残されています。
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 そして北国街道へ。別称は北国街道、琵琶湖の北東岸を北上して越前に抜ける街道です。彦根市鳥居本で中山道から分岐して、米原、ここ長浜、木之本、椿坂峠、栃ノ木峠を経て越前に入り、武生、福井、大聖寺、金沢、倶利伽羅峠、高岡富山、直江津を通過して新潟に達します。
 まずは国立第百三十銀行長浜支店を利用した、黒漆喰が印象的な黒壁ガラス館を撮影。ふと気づくと「近代日本の求道者 西田天香さん 一燈園生活創始者 長浜市名誉市民 第一号 (1872~1968)」「天香さん北海道開拓の本部 必成社跡」という小さな記念碑がありました。一燈園か…たしか尾崎放哉が入っていたと記憶しており、かなり昔に山科で実際に見たような気もします。
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 気になったので、今、インターネットで調べてみました。日本大百科全書(ニッポニカ)からの引用です。
西田天香 にしだてんこう (1872―1968)
 宗教家。本名市太郎。滋賀県長浜の紙問屋に生まれる。1891年(明治24)兵役を逃れるため北海道に移住し、開墾事業の監督となったが、小作農民と資本家の対立に挟まれて行き詰まり、3年余で求道の放浪生活を始めた。1903年(明治36)トルストイの『わが宗教』に啓発され、禁欲・奉仕・内省の信仰生活に入った。05年、断食中に乳児の泣き声を耳にして、人生の理想は赤子のように無心になることと悟り、京都鹿ヶ谷に一燈園を開き、のち山科に移った。一燈園では托鉢・奉仕・懺悔の共同生活を営み、財団法人光泉林、すわらじ劇団などを設立した。西田は光明祈願による新生活を提唱し、政治・外交・社会運動についても活発に発言して、国策を支持した。第二次世界大戦後の47年(昭和22)参議院議員となり、ガンジーの非暴力主義と世界連邦思想に共感を示した。
 旅をすると、ほんとうに勉強になりますね。だからやめられません。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-01-25 06:33 | 近畿 | Comments(0)