2018年 02月 01日 ( 1 )

近江編(71):竹生島(15.3)

 そろそろ出航時刻です。お土産屋さんの前を通り抜け、接岸していた船に乗り込むと、船は一路長浜をめざします。後ろをふりかえると、ひょっこりひょうたん島のような竹生島がじょじょに遠ざかっていきます。
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 そういえば最近読んだ『かくれ里』(白洲正子 講談社学芸文庫)の中に、次のような一文がありました。
 近江に前野隆資氏という写真家がいられる。本人は写真家と呼ばれるのを嫌って、素人だと自称されるが、近江の歴史に精しく、撮影しない景色も美術品もないといっていい。それほど近江という所を愛しているので、写真家といわれるのがいやなのかもしれない。それはともかく、ある日その方が湖北の山中で仕事をしていた。すると突然大雨が降り出し、真暗になったので、撮影をやめて帰ろうとしていると、雷鳴とともに湖水の上の雲が裂け、後光のような光が落ちて来て、暗闇の水面に竹生島が、忽然と現出した。
 「私は夢中でシャッターを押しつづけましたが、あんな強い衝撃をうけたのははじめてです。おそろしいような景色でした」
 といわれる。山と湖にかこまれた近江は、天候が変りやすく、時にはそのような現象が起るのであろう。そういう強烈で、神秘的な光景に、古代人が神の降臨を見たとしても不思議ではない。人界から遠く離れた所に孤立し、そして時々そんな表情を見せる竹生島が、神の島として崇められたのも、故なきことではなかったと思う。(p.87)

 今津で若狭へぬける街道と、北陸道がわかれるが、その辺から竹生島が間近に望める。ツクブスマの命を祭神とするが、最初は浅井姫というこの地方の地主神で、後に観音信仰や弁才天と結びついた。遠くから眺めると、その形には古墳の手本になったようなものがあり、水に浮いている所も、二つの岡にわかれている所も、前方後円墳そのままである。神が住む島を聖地として、理想的な奥津城(おくつき)とみたのは、少しも不自然な考え方ではない。仏教が入ってきて、そこに観音浄土を想像したのも、自然の成行きであったろう。逆にいえば、古墳時代の文化が根を下ろしていたから、仏教を無理なく吸収することができたので、竹生島の美しい姿自体が一つの歴史であり、神仏混淆の表徴であったといえる。(p.179)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-01 06:30 | 近畿 | Comments(0)