2018年 02月 21日 ( 1 )

京都観桜編(17):ホテルにて(15.3)

 それでは夕食をとって自転車を返却しましょう。ひさしぶりに「新福菜館」か「第一旭」の濃厚な中華そばが食べたいな、しかし前者は長い行列、後者は工事中でした。せんかたなし、中華そばが食べられそうなお店を探しましょう。京都駅近くをうろうろ走っていると、「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」という碑がありました。
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 そして「満福」というお店で中華そばを所望、山盛りの九条ねぎが美味しうございました。
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 京都サイクリングツアープロジェクト(KCTP)に自転車を返却し、京都駅から琵琶湖線快速に乗って20分ほどで草津駅に到着。ホテルに向かって歩いていると「COLTRANE」というJAZZ&BARの店がありました。看板は「ブルー・トレーン」のジャケット写真ですね。ジョン・コルトレーンか、無性に「コートにすみれを」が聴きたくなりました。
 ホテルに着いてシャワーを浴び、地酒を飲みながらテレビのニュースを見ていると、"沖縄返還交渉での「密約」初めて認めた吉野氏死去"というテロップと、氏の生前の姿が放映されていました。
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 『日本経済新聞』のサイトから、引用します。
 沖縄返還の際に日本側が必要経費を負担する「密約」があったことを認めた、元外務省アメリカ局長の吉野文六氏が29日午前9時10分、肺炎のため横浜市内の自宅で死去した。96歳だった。告別式は近親者のみで行う。喪主は長男、豊氏。
 長野県松本市で生まれ、1941年に外務省に入省。同省アメリカ局長時代に、沖縄返還交渉を担当した。その後、外務審議官や駐独大使などを歴任した。
 沖縄返還で米側が支払う米軍基地跡地の原状回復費を日本側が肩代わりするとの密約を一貫して否定していたが、2000年に存在を裏付ける米公文書が公開。06年に一転して存在を認めた。
 09年には密約文書を巡る情報公開訴訟に証人として出廷した。
 テロップで、「反対のことを主張するなどして歴史を歪曲しようとすると、歴史をつくる国民のためにはマイナスになることが大きい」という氏の言葉が流されていました。
 この「沖縄密約問題」と深く関わった西山太吉氏が、『沖縄密約』(岩波新書1073)の中で、吉野氏について、こう記されています。
 それにしても、国家機密の王国ともいわれる外務省の高級官僚だった吉野が、なぜ、突然変異のように機密の真相を語りはじめたのであろうか。恐らく、外務省の幹部連は愕然としたに違いない。まさに、日本の近代から現代にかけての外交史上、例のない事件といってよい。しかし、吉野になんら動揺はない。いまなお訪れる記者にひるむことなく語り続けている。もはや、こわいものはなにもないといった風情さえ感じるほどだという。すでに夫人に先立たれ、ひとり身となった吉野は、90歳を前に、自らの外交官生活を回顧して、つかえていたものをはき出し、いいたいこともいって、自分なりの想いをまとめ上げたい衝動に駆られたのであろうか。
 往住記者によれば、吉野は長野県出身で幼少の頃、弁護士だった父親や叔父たちが小作争議や共産党員検挙に際し、その弁護や支援活動に奔走していた姿を見ながら育ったという。だとすれば、彼には"反骨"の血が流れていたといえる。
 同時に、吉野には、日本外交のあり方について、いいたいことが山ほどあったのではないか。彼は1969年から70年にかけての駐米公使時代、佐藤(※栄作)の「私設CIA」あるいは「忍者」(「オーラルヒストリー」)と呼ばれた二人の人物による闇の外交に手を焼いた。その過程で、彼の対米折衝などは"飾り物"に過ぎなかったことを身をもって経験した。さらに、沖縄協定調印の年の1971年初頭、本省のアメリカ局長に就任してからは、これまた大蔵省から理屈に合わないようなツケ(同前)を回され、結局は、条文化できないため、密約を背負いこむハメになるという苦々しい体験の持ち主でもあった。いわば、"きれいごと"(同前)にこだわり過ぎた佐藤によって、散々な目にあったというのが、彼の交渉に対する率直な感想であった。
 吉野発言以降、しばしば訪れるようになった記者たちに、「すべては、協定の批准が先決だった。あとは、野となれ、山となれの気持だった」と、ふつう、交渉当事者としてはタブーとされるような自棄的な表現を使ったのも、それなりに無理からぬ面があったのだ。だからこそ、協定発効後、25年が経過して、米国の秘密文書が開示され、沖縄密約の事実が続々と明らかにされるのを見るにつけ、長年支え続けてきた重しを、この際はずして、積もり積もった感懐を一挙にぶちまけたいという気持ちになったのではないだろうか。それは、若泉敬が、米国の例にならって25年の後、佐藤-ニクソンの核に関する秘密合意の議事録を暴露したのとは、ちょっと異なる動機だったといえよう。(p.206~7)
 なお若泉敬とは、沖縄返還交渉において、佐藤栄作の密使として重要な役割を果たした国際政治学者です。彼が、この交渉の経緯について著した『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)は面白いですよ。
by sabasaba13 | 2018-02-21 06:29 | 京都 | Comments(0)