2018年 02月 23日 ( 1 )

いつもいつも君を憶ふ

c0051620_10573050.jpg 先日、タモリ風に言えば"ギロッポン"の"ブシャブシャ"じゃなくて俳優座劇場で、同劇団による「いつもいつも君を憶ふ」を山ノ神と見てきました。『週刊金曜日』の演劇評で紹介されていたものですが、なかなか面白そうです。ほんとうはもっと演劇鑑賞をしたいのですが、音楽や映画と違い、演劇についての情報はなかなか耳に入りません。本誌の演劇評は重宝しております。
 まずはチラシから、あらすじについて引用します。
1923年―関東大震災。その翌年の初めから物語は始まる。
お茶の間の流行歌と共に時は流れ、二度目の東京オリンピックを終えた2021年元旦。
この約100年間を、埼玉県川越市のある一軒家を舞台に、時を隔てた七つの正月の景色で描き継ぐ。
変わらないはずの日常は時にもろく崩れ、消えないはずの絆はその糸がほどける時もくる。
でも、いつもそこには人がいた、歌があった、そして一瞬の命のきらめきが溢れていた―。
 今年は明治維新150年、行政による手放し礼賛キャンペーンが渦巻きそうで気鬱になりますが、ひとつの節目として、日本の近代とは何だったのか自分なりに振りかえってみたいと考えていたところです。その約三分の二にあたる約100年を、ある家族の歴史を通してつづる、興味深い作品です。これは愉しみ。

 六本木に着いて劇場に入り、開演を待っていると、時を刻む時計の音が静かに流されていました。"時"が、この劇における重要なモチーフであることを暗示しているのでしょう。
 関東大震災の翌年にあたる1924(大正13)年の元日、朝鮮人父娘が川越に住む医師・岡崎一家を訪れ、大きな柱時計をプレゼントします。前年に起きた大震災の時に吹き荒れた朝鮮人虐殺の最中に、多くの朝鮮人を匿ってくれたことへのお礼です。この時計を擬人化して役者(小笠原良知)が演じ、以後約100年にわたってこの家族を見守るという演出、上手いですね。その後、軍国主義に雪崩れていった日本は、満州事変・日中戦争へと突入していきます。やんちゃ坊主だった岡崎家の息子・勝(芦田崇)が冷酷な軍人となって、重慶への無差別爆撃を誇らしげに語る場面が印象的でした。時は人間をこうも変えてしまうのですね。そして時は、日本本土への無差別爆撃という結果も招来します。因果は巡る…
 やがて太平洋戦争、敗戦、シベリア抑留、戦後復興、東日本大震災と原発事故と時代が移り行くなかで、岡崎家と隣りの田宮家の人びとは、死・生・恋愛・別れとともに健気に生きて行きます。中でも、シベリア抑留によって精神に異常をきたした田宮肇(河原崎次郎)、日本を美化する祖母・岡崎静(川口敦子)に抗して、父・勝の戦争犯罪を告発する孫・清(芦田崇)、福島原発事故によって甲状腺ガンになり、その手術の傷痕をマフラーで隠す少女(飯見沙織)といったエピソードが心に残りました。こうしてみると、この劇のモチーフは、時に加えて、国家であるのかもしれません。国家に翻弄されながらも、互いに思いやりながら懸命に生きる人びと。さて、時はどちらの味方なのでしょう。国家か、はたまた人か。

 最後の場面は2021年。そう、東京オリンピックの翌年、そしておそらく憲法改正/改悪の是非が私たちに問われてその結果が出ている頃でしょう。その時に、日本はどうなっているのか。いや、私たちは、そして国家はどんな日本にするつもりなのか。劇中人物が演じたように、他者を"憶ふ"心を忘れずにいれば、その答えは自ずと出てくるような気がします。そもそもこの柱時計は、朝鮮人が日本人を憶って贈ったものでした。

 いろいろと考えさせられ、そして楽しめた、すばらしい公演でした。生身の人間が、眼前でリアルタイムに人間を演じる演劇を見る喜びを伝えてくれた俳優座のみなさんに感謝します。これからは足繁く、さまざまな劇場に通いたいと思います。

 なおタイトルの「いつもいつも君を憶ふ」は、与謝野晶子の「賀川豐彦さん」という詩からつけられています。とても素敵な詩ですので「青空文庫」から引用して紹介したいと思います。
わが心、程を踰えて
高ぶり、他を凌ぐ時、
何時も何時も君を憶ふ。

わが心、消えなんばかり
はかなげに滅入れば、また
何時も何時も君を憶ふ。

つつましく、謙り、
しかも命と身を投げ出だして
人と真理の愛に強き君、
ああ我が賀川豐彦の君。

by sabasaba13 | 2018-02-23 06:42 | 演劇 | Comments(0)