2018年 02月 24日 ( 1 )

南方熊楠展 1

 東京上野にある国立科学博物館で、南方熊楠生誕150周年記念企画展、「南方熊楠 100年早かった智の人」が開かれているというビッグ・ニュースが耳に入りました。こりゃあ女房をし…もとい、山ノ神を誘って是が非でも見にいかなければ。

 まずは岩波日本史辞典から彼についての記述を引用します。
 南方熊楠。1867‐1941(慶応3.4.15‐昭和16.12.29) 植物学者、民俗学者。和歌山市生れ。1886年大学予備門を中退して渡米、中南米を放浪し、動植物の観察収集に努めた。92年イギリスに渡り、学界で認められ、大英博物館東洋調査部に入る。1900年帰国、和歌山県田辺町に定住し、県下一帯の隠花・顕花植物の採集とその分類整理に没頭した。人間と自然との共生の立場から明治政府がすすめた神社合祀に反対し、また民俗学の分野でも独自の方法論による地球的規模での民俗の比較を試みた。
 そう、国家という檻に縛られず、世界と地域を自由自在に行き来して、人間と自然を考究する、そのスケールの大きさに魅せられます。

 彼の言葉をすこし紹介しましょう。まずは『南方熊楠随筆集』(ちくま学芸文庫)です。
 この人(※熊楠の友人)の言に、日本今日の生物学は徳川時代の本草学、物産学よりも質が劣ると、これは強語のごときが実に真実語に候。けだしかかる学問をせし人はみな本心よりこれを好めり。しかるに今のはこれをもって、卒業また糊口の方便とせんとのみ心がけるゆえ、おちついて実地を観察することに力めず、ただただ洋書を翻訳して聞きかじり学問に誇るのみなり。それでは、何たる創見も実用も挙がらぬはずなり。(p.35)

 小生のごときつまらぬものの履歴書は、また他のいわゆる正則に(正則とは何の変ったことなき平凡極まるということ)博士号などとりし人々のものとかわり、なかなか面黒きことなども散在することと存じ申し候。これは深窓に育ったお嬢さんなどは木や泥で作った人形同然美しいばかりで何の面白みもなきが、茶屋女や旅宿の仲居、お三どんの横扁たきやつには、種々雑多の腰の使い分けなど千万無量に面白くおかしきことがあると一般なるべしと候。(p.38)
 次に『一日一言』(桑原武夫 岩波新書)からの""です。
 かつ小生、従来、一にも二にも官とか政府とかいうて、万事官もたれで、東京のみに書庫や図書館あって、地方には何にもなきのみならず、中央に集権して田舎ものをおどかさんと、万事、田舎を枯らし、市都を肥やす風、学問にまで行わるるを見、大いにこれを忌む。(「土宜法竜への手紙」 p.215)
 そして白川郷の看板に掲げられていた言葉です。
 すぐに儲けにならないものの中には、貴重なものがいっぱいあるのだ。生命の世界もそう、それに景色だってそうだ。なんの儲けになるかと思っているかもしれないが、それがいまにいちばんの貴重品になる時代がやってくる。景色を護らなくっちゃいけない。その景色の中に生きている、生命の世界を金儲けの魔力から護らなくてはいけない。
 「知」に対する無垢な愛情、国家権力や金儲けの魔力への批判と抵抗、地域への眼差し、そして人間を含めた全ての命への敬意。ほんとうにスケールの大きい人物です。
 それに加えて、常識や慣習に縛られない言行も好きです。読んでいて思わず微苦笑してしまった文章を『南方熊楠随筆集』(ちくま学芸文庫)から紹介します。
 予が現住宅地に大きな樟の樹あり。その下が快晴にも薄暗いばかり枝葉繁茂し居り、炎天にも熱からず、屋根も大風に損せず、急雨の節書斎から本宅へ走り赴くと掩護するその功抜群だ。日傘雨傘足駄全く無用で、衣類もというところだが、予は年中多く裸か暮しゆえ皮膚も沾(ぬ)れず、こんな貧人に都合のよいことは又とないから、樹が盛えるよう朝夕なるべく根本に小便を垂れてお礼を申し居る。(p.108)

 …女は年をとるほど、また場数を経る広くなる。西洋人などはことに広くなり吾輩のなんかを持って行くと、九段招魂社の大鳥居のあいだでステッキ一本持ってふりまわすような、何の手ごたえもなきようなのが多い。ゆえに洋人は一たび子を生むと、はや前からするも奥は味を覚えず、かならず後ろから取ること多し。これをラテン語でVenus aversaと申すなり。(支那では、隔山取火という)。されど子を生めば生むほど雑具が多くなり、あたかも烏賊が鰯をからみとり、章魚が梃に吸いつくように撫でまわす等の妙味あり。夢中になってうなりだすゆえ盗賊の禦ぎにもなる理屈なり。(p.68)
 もう、熊楠さんたら。

 彼の後塵を拝するために、ゆかりの地をいくつか訪れたこともいい思い出です。紀伊田辺の旧居と闘鶏神社、彼のお墓がある高山寺野中の一方杉、彼が三年間滞在した大阪屋旅館跡、紀伊白浜にある南方熊楠記念館などなど、よろしければ拙ブログをご笑覧ください。
 なお、彼の伝記である『縛られた巨人-南方熊楠の生涯』(神坂次郎 新潮文庫)もお薦めです。

 というわけで前口上が長くなりましたが、睦月某日、山ノ神と一緒に上野に行きました。JR上野駅公園口から出ると、たくさんの方々が足早に歩いておられます。すわ、熊楠展へ向かう人の群れか、だとしたら行列は必至です。でも知的好奇心にあふれた方々がこれほどいるのなら日本は安泰…と思ったら、パンダのシャンシャンを見るために動物園へ向かう人たちでした。無念。
 先日、『ロダン』という素晴らしい映画を見たので、敬意を表してル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館の前庭に立ち寄りました。「地獄の門」「アダム」「イブ」「カレーの市民」「考える人」といったロダンの彫刻群が野外展示されており、しかもここまではロハで入れます。その圧倒的な表現力をもつ作品を見詰めていると、山ノ神曰く、幼い頃に両親に連れられて「地獄の門」を見た時に、その恐ろしさのあまり泣き出したそうです。今でもそうですが、感受性が強かったのですね。私は「この門、開けられるのかな」と思っただけでした。余談ですが、愛煙家の方に朗報、「地獄の門」のすぐ隣に喫煙コーナーがありました。ロダンの作品を見ながら紫煙をくゆらす、絶滅危惧種の末席を汚す一人としてはほんとうに嬉しい場所です。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-24 06:30 | 鶏肋 | Comments(0)