2018年 02月 28日 ( 1 )

京都観桜編(21):高台寺(15.3)

 そして観光客の雑踏で混みあう二年坂から三年坂へ、満開の枝垂れ桜を坂から見下ろす一枚を撮れました。
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 八坂の塔を遠望し、霊山観音を撮影して、高台寺へ。
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 方丈の前に広がる「波心庭」では、枝垂れ桜が見事な紅色の花を咲かせています、眼福眼福。なお朱印をもらうために長い行列ができていましたが、若者が多いのにはすこし驚きですね。怪力乱神や儀式を好む若者が増えているとしたら、少し気がかりです。彼ら/彼女らには自由を愛するリアリストでいてほしいのですが。
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 なおこのあたりから、甍の波を睥睨するように聳える、山鉾のような異形の建物が見えます。以前から気になっていたのですが、今調べてみたら「祇園閣」という建築でした。大雲院という寺の中に建ち、もともとは大倉喜八郎の別邸の一部で、「祇園祭の鉾を一年中見られるように」という彼の願いが込められて建てられたそうです。設計は伊東忠太、築地本願寺や東京都慰霊堂(震災記念堂)も彼の作品ですね。屋根は銅板葺きですが、これは大倉喜八郎が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ったためなのだとか。ほんとかな。最上部からの眺望は絶景だそうです。ときどき特別公開されるそうなので、ぜひ上ってみたいですね。
 近くの月真院には、「御陵衛士屯所跡」という解説板がありました。
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 後学のために転記します。
 ここ高台寺月真院は、慶応三年(1867)六月から十一月にかけて、熱烈な勤王主義者であり、孝明天皇の御陵衛士と称した伊東甲子太郎ら十五名が屯所として寺院である。彼らはこの寺院を本拠として活動していたため「高台寺党」とも呼ばれている。
 伊東は常陸(茨城県)の出身で学問優秀、剣は北辰一刀流の名手であった。元治元年(1864)江戸から京に移り、新撰組に入隊し参謀となったが、やがて近藤勇や土方歳三らと意見を異にし、遂に慶応三年三月、新撰組と袂を分かち、同志十四名を連れて御陵衛士に任名(ママ)され、ここを屯所とした。この中には江戸の試衛館時代からの隊士、藤堂平助の姿もあった。それ以降、薩摩藩の援助をうけ、雄藩(勢力の強い藩)をまわってさかんに勤王を説いた。
 慶応三年十一月十八日、伊東は近藤勇から酒席の接待を受けた帰り、油小路木津屋橋で待ち伏せをしていた新撰組に謀殺され、さらに伊東の遺体を引き取りに来た多くの同志も、新撰組隊士によって斬られ、御陵衛士隊の活動は終止符を打った。
 寡聞にしてはじめて知りました。薩摩藩と関係をもったことを新撰組に睨まれたのかな。旅をするといろいろ勉強になりますね。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-28 06:28 | 京都 | Comments(0)