2018年 03月 02日 ( 1 )

京都観桜編(23):正伝永源院(15.3)

 そして建仁寺の塔頭、正伝永源院へ。公式サイトによると、「廃仏毀釈」の凄まじさを物語るお寺さんです。
 当院は元は正伝院と永源庵の二ヶ寺であり、いずれも臨済宗大本山建仁寺の塔頭でありました。
 明治新政府の断行した廃仏毀釈・その主たる目的は神仏分離政策による、仏教排斥運動そして、その具体的な処置として本山を中心としての規模の縮小であり無住の寺院の廃寺でありました。
 建仁寺領も四分の一程度に縮小を余儀なくされました。
 当時、永源庵は運悪く無住であった為即刻廃寺となったのです。ところが永源庵は本山の真北にあった為、その堂宇の取り壊しは免れその地に本山の北東に隔ててあった正伝院が移ってきたのです。そうして寺名も「正伝院」と変えられました。
 それが明治六年のことでありますが詳細はそれ以後の経緯を知る資料が当院はもとより本山にさえも残っておらずそれがかえって当時の運動の激しさを物語っています。
 ただ断片的な資料のいくつかを繋いでみると 「永源庵」は細川家の始祖細川頼有および以後、八代の菩提寺であり、数多くの菩提寺の中最も大切な寺でありましたが、廃仏毀釈運動により一時霊牌等を一切引き取り、それまでの関係を整理しましたが「永源」の名が消えることを憂いだ時の細川侯爵は「永源」の名を残すことを希望され「正伝永源院」となりました。
 なお江戸時代初期に、正伝院は織田有楽斎により再興され、隠居所と茶室「如庵」が建てられました。よって境内には有楽斎のお墓があります。お庭には枝垂れ桜の古木がありましたが、残念ながら三分咲きでした。如庵のレプリカもつくられています。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-02 06:25 | 京都 | Comments(0)