2018年 03月 09日 ( 1 )

京都観桜編(27):竜安寺(15.3)

 そして竜安寺へ、紅葉のころには来たことがあるのですが、桜の時期は初めてです。運賃を支払ってタクシーとはお別れし、駐車場を歩いていると、おおっ、その土手を埋め尽くしあふれるような桜、桜、桜が目に入りました。これは期待できそう。山門で拝観料を支払って境内に入ると、たくさんの桜が咲き誇っていました。やった。庫裡へと続く石段の参道の両側には割り竹を菱形に張った竜安寺垣を撮影し、方丈庭園(石庭)へ。
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 白砂の上に15個の石を5・2・3・2・3と配した枯山水庭園。4の5の言わず、その石の形と配置の美を純粋に楽しみましょう。額縁とも言うべき油土塀の上に桜が顔をのぞかせていましたが、残念ながら満開にはほど遠い状態です。
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 なおこの石庭について、坂口安吾と芥川龍之介がコメントを残しているので紹介します。まずは坂口安吾の『日本文化私観』(岩波文庫・講談社学芸文庫)から。
 龍安寺の石庭がどのような深い孤独やサビを表現し、深遠な禅機に通じていても構わない、石の配置が如何なる観念や思想に結びつくかも問題ではないのだ。要するに、我々が涯ない海の無限なる郷愁や砂漠の大いなる落日を思い、石庭の与える感動がそれに及ばざる時には、遠慮なく石庭を黙殺すればいいのである。
 芥川龍之介のコメントについては、堀辰雄が『大和路・信濃路』(新潮文庫)の中でふれています。
 そのなかの「龍安寺」の章を読みながら、この庭が芥川さんの最も愛されていた庭だったのを私は思い出した。室生(※犀星)さんも「ひょっとすると龍安寺などがこんど見て来た庭のうちで最も心に残って澄みきっているのではないかと思った」と言われて、その「京洛日記」を結ばれている。
 しかしその庭を見に行かれた折の日記によると、「…六十坪に十五の石が沈みきっているだけである。しかし無理に私どもに何かを考えさせようとする圧迫感があって、それがこの庭の中にいる間じゅう邪魔になって仕方がなかった。宿に帰って燈下で考えるとこの石庭がよくこなれて頭にはいって来るようである。固い爺むさい鯱張った感じがうすれて、十五の石のあたまをそれぞれに撫でてやりたいくらいの静かさであった。相阿弥の晩年の作であるという志賀直哉氏の説は正しい。只、爺むさく説法や謎を聞かされるのは厭であるが、相阿弥のこの行方は初めはもっと石をつかっていてそれを漸次に抜いて行ったものか、もっと少なく石を置きそれに加えて行ったものか、盤景をあつかうような簡単な訳に行かなかったに違いない。相阿弥が苦しんでいるのが固苦しい感じになって今も漂っているのであろう。」
 恐らく芥川さんはその謎めいた魅力にいきなり飛びつかれて行かれたのだろう。が、室生さんは一応はそれに抵抗された。しかし最後にはその謎めいた魅力に打負かされている。
 芸術品の魅力は、結局、そういう謎めいたものにある。謎のないものは、すぐ私達を倦きさせるのだ。(p.16~7)

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-09 06:25 | 京都 | Comments(0)