2018年 04月 13日 ( 1 )

近江編(79):藤樹書院跡(15.3)

 珍しい意匠の透かしブロックを撮影し、それでは新旭駅へと戻りましょう。途中に、きれいな菜の花が咲いていました。新旭駅から湖西線に乗って、次の安曇川(あどがわ)駅で下車。
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 タクシーを利用して、中江藤樹の墓と藤樹書院跡を訪れました。中江藤樹(1608~1648)、江戸初期の儒者で、初め朱子学を信奉しましたが、晩年に王陽明の著書に接し、陽明学の祖となりました。村民を教化し徳行をもって聞こえ、近江聖人と称されました。門下に熊沢蕃山がいます。

 なお1904(明治37)年に発行された高等小学修身書(第二学年児童用)に、藤樹が登場しています。
第二課 主人と召使
 中江藤樹は近江の小川村の人なり。はじめ、伊予の加藤氏につかへしが、故郷にある母を養はんがため、つかへをやめて帰れり。
 この時、伊予より、一人の召使従ひきたれり。されど、藤樹は家貧しければ、これを雇ひおくことあたはず、よって、わがもてるわづかの銭の中より、その過半を分ち与え、故郷に帰り、商をなして、生計をたつべし。」といへり。召使は「主人の仰は、まことに、うれしけれども、われは金銭を受けんとは思はず、ただ、いつまでも、つかへて、艱難をともにせんことを願ふ。」と答へたり。藤樹は、その志をあはれとは思ひしが、せんかたなく、あつく、これをさとしたれば、召使も涙を流して、帰りゆけり。

第三課 徳行
 藤樹は母に孝行をつくし、また、学問をはげみ、つひに、名高き学者となり、多くの弟子はもとより、文字を知らざるものまでも、藤樹をしたふにいたり、人、みな、近江聖人ととなへたり。今にいたるまで、村民その徳を仰ぎ、年年の祭をたやさず。
 ある年、一人の武士、小川村の辺をすぎ、藤樹の墓をたづねんとて、畑をたがやせる農夫に、道をたづねたり。農夫はさきだちて、案内せしが、途中にて、わが家にたちより、衣服をあらため、羽織を着て、行きたり。武士は、心にうちに、われをうやまふがために、かくするならんと思ひしが、藤樹の墓にいたれば、かの農夫、垣の戸をひらきて、武士をその中に入らしめ、おのれは戸の外にひざまづきて拝したり。武士このさまを見て、さきに、農夫の衣服をあらためしは、藤樹をうやまふがためなりしことをさとり、ふかく、感じ、ねんごろに、その墓を拝して、去りたりとぞ。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-04-13 06:20 | 近畿 | Comments(0)