2018年 04月 19日 ( 1 )

近江編(81):朽木(15.3)

 そしてバスに乗り込み、山々に向かって走ること三十分ほどで朽木に着きました。古くから、若狭国小浜と京都を結ぶ街道の街道筋として栄えた宿場町で、「朽木の杣」と呼ばれた木材の供給地でもありました。お目当ては、興聖寺の境内にある「旧秀隣寺庭園」です。1528(享禄元)年、室町幕府12代将軍足利義晴が京都の兵乱を避け、このあたりを支配する朽木氏に身を寄せてきたため、朽木氏の居館は将軍御所「岩神館」となりました。その岩神館の中に、鑑賞および将軍の公的な権威を示す儀礼の場として作庭された池泉観賞式庭園です。
 私が敬慕する重森三玲氏が惚れ込み、「飽きがこない」と年に一度は訪れて、庭園に佇まれていたそうです。中世を代表する貴重な庭園で、氏のお孫さんにあたる重森千靑(ちさを)氏は、『日本の10大庭園 -何を見ればいいのか』(祥伝社新書)の中で、こう述べられています。
一乗谷朝倉氏遺跡庭園群
 池の東端に浮かぶ島は「亀島」である。一方の西端には「鶴石組」が表わされ、ともに巨石を用いた豪快な構成となっている。亀島の奥には滝石組があり、まことに折り目正しく、かつ武将らしい強さを前面に押し出した室町時代後期庭園といえる。ほぼ同時期に造られた名庭として、京都の北方、朽木の地に残る「旧秀隣寺庭園」(滋賀県高島市)があるが、力強い亀頭石などが類似性を感じさせる。(p.176)
 また白洲正子氏は、『かくれ里』(講談社学芸文庫)の中で、こう書かれています。
 石は当然庭と結びつく。近江には、これもあまり人に知られていないが、名園が多い。朽木谷の興聖寺には、足利将軍義晴が、ここに逃れた時造ったという石庭があり、安曇川の渓流をへだてて、比良山が眺められる。今は少々荒れているが、妙に手のこんだ庭園より、石組みも自然で、気持ちがいい。造園は、茶人が指揮したにしても、働いたのは近江の石工たちであったろう。そう言えば、「お庭番」と呼ばれた将軍家の隠密も、伊賀・甲賀から出たしのびの者であった。(p.97)
 これは楽しみですね。
by sabasaba13 | 2018-04-19 06:28 | 近畿 | Comments(0)