2018年 04月 27日 ( 1 )

『人生フルーツ』

c0051620_21382111.jpg 最近、面白い映画が目白押しです。というよりも、「週刊金曜日」「DAYS JAPAN」「しんぶん赤旗」「東京新聞」の映画評を丹念に読むようになったおかげかな。映画館に行くとまた面白そうな映画のチラシが見つかるという好循環が続いています。しかし今回は、われわれ御用達のお店、練馬駅近くの「マッシュポテト」の店員さんが強く薦めてくれた映画です。
 上映館はこちらもわれわれ御用達の「ポレポレ東中野」。映画を見た後に近くで夕食をとろうと、「食べログ」でいろいろ検索した結果、「タラキッチン」というカレー屋さんに決めました。インター―ネットで予約をして準備万端です。

 それでは公式サイトから、あらすじを転記しましょう。
 むかし、ある建築家が言いました。
 家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。

 愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。

 かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめました。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。

 本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります。
 そう、"暮らしの宝石箱"に住まいながら、平和で穏やかな暮らしを営む老夫婦のお話です。ただそれだけ。それだけなのに、何て愛おしい映画なのでしょう。つかず離れず、適度な距離感を保ちながら仲睦まじく暮らす90歳の修一さんと87歳の英子さん。野菜や果実の栽培、料理、編み物、機織りなど、手間ひまかけた手仕事にコツコツのんびりと勤しむ英子さん。家の修繕や英子さんの手伝い、得意のイラストで手紙を書いたり畑の立て札をつくったり、小さな手仕事にコツコツのんびりと勤しむ修一さん。そこには競争も、収奪も、過剰な欲望も消費も、ありません。言いかえれば、経済成長とは縁もゆかりもない暮らしです。吾唯足るを知り、協働と支え合いと思いやりに満ちた良質な暮らし。そこには、私たちがめざすべき懐かしい未来があるような気がします。

 数百年にわたって人間を呪縛してきた「経済の無限なる成長」がもはや不可能であることが明らかになりつつある現在。しかしそこから目をそむけ、弱者を犠牲にしながら経済成長をやめようとしない世界、そして何よりも日本。安倍伍長の唱える「働き方改革」とはそういうことですよね。
 無謀な経済成長を続けるのか、それともゼロ成長あるいは脱成長に転換するのか、そういう歴史的な岐路に私たちは立っていると考えます。ある方曰く、墜落か、胴体着陸か。でも最近読んだ『成長から成熟へ -さよなら経済大国』(天野祐吉 集英社新書0713)で紹介されていた先哲たちの言葉を噛み締めると、それほど酷いダメージではない胴体着陸ですみそうな気もします。
デニス・ガボール 『成熟社会-新しい文明の選択』(講談社)
 成熟社会とは、人口および物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を成長させることはあきらめない世界であり、物質文明の高い水準にある平和なかつ人類(homo sapiense)の性質と両立しうる世界である。(p.176)

E・F・シューマッハー 『宴のあとの経済学』(ちくま学芸文庫)
 それにしても、「成長は善である」とはなんたる言い草か。私の子供が成長するのなら至極結構であろうが、この私がいま突然、成長し始めようものなら、それはもう悲劇である。(p.177)

セルジュ・ラトゥーシュ 『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社) 『 〈脱成長〉は、世界を変えられるか?』(作品社)
いまの消費社会は、成長経済によって支えられているが、その成長は人間のニーズを満たすための成長ではなく、成長をとめないための成長だ。(p.179)

 この有限な惑星でかぎりなき成長がいつまでもつづくと信じているのは、単なる馬鹿とエセエコノミストだけだ。が、困ったことにいまは、エセエコノミストと馬鹿ばかりの世界になっている。 (p.181)

 もし幸福が消費の度合いによって決まるものなら、われわれは十分幸福なはずです。マルクスの時代にくらべて26倍も消費しているのですから。しかし、人びとがその頃よりも26倍幸福だと感じていることを示す調査結果は皆無です。(p.181)

 脱成長のエッセンスは一言で言い表せます。『減らす』です。ゴミを減らす。環境に残すわれわれの痕跡を減らす。過剰生産を減らす。過剰消費を減らす。(p.184)

浜矩子 (朝日新聞 2012.11.24)
 (かつての日本は)欧米諸国から「エコにミックアニマル」と言われました。
そのころの日本経済は「フローはあるが、ストックがない」とも言われていました。平たく言えば、フローは「勢い」、ストックは「蓄え」です。勢いは「経済成長率」「経済成長力」、蓄えは「富」「資産」と言い換えてもいいと思います。
 (…) (あのころから見ると)確かに、いまの日本に勢いはなくなっている。しかし、蓄えは世界で最大規模に到達しました。交通網の充実ぶりなど、生活インフラのレベルの高さを見ても、成熟度はすさまじい。
 ここまで成熟した日本が、経済規模において中国に抜かれて2位から3位になるのは当たり前です。成熟を受け止めて、それにふさわしい展開を考えていく必要があります。(…) 私はこれを老楽(おいらく)国家と名付けたい。「老いは楽し」という精神性の中で成り立つ国家です。成熟度を上手に受け止め、生かし、展開する。老楽国家を成り立たせる概念は二つあると思います。一つ目は「シェアからシェアへ」、二つ目は「多様性、まさにダイバーシティーと包摂性の出あい」。包摂性は包容力と言っても良いでしょう。
 シェアという言葉で、一定の年齢より上の世代の人に思い浮かぶのは「市場占有率」になると思います。(…)
 シェアには、これと相反する意味もあります。友だちとご飯をたくさん注文してシェアするというときの「分かち合い」です。老楽国家では、奪い合いのシェアから、分かち合いのシェアへの切り替えが必要です。
 「多様性と包摂性の出あい」は、頭の中に座標平面をイメージしてください。縦軸が包摂性で、上に行くほど包摂性が高い。横軸が多様性で、右に行くほど多様性が高くなります。包摂性も多様性も高い、右上の第1象限が理想郷です。我々はそこに行きたいのです。
 グローバル時代に、ここまで成熟した経済社会は日本しかない。(…) 我々はグローバル時代という舞台で老楽国家の華麗な姿を見せることができる。(p.186~8)
 脱成長の時代に、地域はどうやって存続することができるかを描いた映画が『おだやかな革命』であり、個人はどう暮らしを楽しめるかを描いた映画が本作品だと思います。先哲の言葉を借りれば、生活の質、人間のニーズ。ゴミを減らし、環境に残すわれわれの痕跡を減らし、過剰生産を減らし、過剰消費を減らす。老楽、多様性と包摂性。
 「経済成長」という幻想をふりまき、自然と弱者を踏みにじりながら、より豊かになろうとする強者。そのおこぼれにあずかれると信じこみ、強者による経済運営を支持する弱者。「そろそろ目を覚ましたら?」という、二人の声が聞こえてきませんか。いい映画でした。

 映画を見終わり、予約をした「タラキッチン」へ。映画の感想を話し合いながら、美味しいカレーや、ナンや、タンドーリチキンや、カバブを納得のゆくお値段で堪能しました。新たなご用達のお店となりそうです。
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 東中野銀座商店街を駅へと歩いていくと、「ル・ジャルダン・ゴロワ」というちょっと気になるお店がありました。何の変哲もない普通の店構えなのですが、ショーウィンドウに並べられているのは美味しそうなフランス菓子と惣菜。値段もそれほど高くはありません。タルトの詰め合わせを購入して、帰宅後珈琲とともに食べましたが…言葉にできないのがもどかしいほどの美味しさ。こちらもご用達となりそうです。
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 良い映画と、美味しいカレー、美味しいタルト、そして気の合う伴侶。こういう一日に出会うと、長生きがしたくなります。
by sabasaba13 | 2018-04-27 06:26 | 映画 | Comments(0)