2018年 06月 11日 ( 1 )

素晴らしき土曜日

 一昨日の土曜日、愛車ブロンプトンにまたがって、武蔵野を散策してきました。自宅からJR中央線高円寺駅までブロンプトンで走り、折りたたんで輪行袋に入れて三鷹行きの列車に乗車。三鷹駅で乗り換えて武蔵小金井駅で下車して、駅前で組み立てて小金井街道を南下します。交差点で東八道路を右折し、すこし走ると関東医療少年院に着きました。少年審判によって「心身に著しい故障がある」と判断されたおおむね12歳以上26歳未満の者を収容し、治療と矯正教育を施す施設で、全国に4箇所しかないそうです。お目当ては、『散歩の達人 調布・府中・深大寺』(18.5 №266)で知った古い給水塔。東側の小道に入ると、金網越しにすぐ見えました。鉄骨の櫓が組まれ、最上部に赤錆のついた球形のタンクがちょこんと乗っかっています。お役目を終えて微睡んでいる老人のようですが、ここに収容されている少年・少女たちは、どのような思いで見上げているのでしょう。
 そして府中方面へと向かいます。できれば地元資本の喫茶店でモーニングサービスを食しながら、一人作戦会議を開きたいのですが見当たりません。せんかたなし、「ガスト」に入って朝食をとりました。小金井街道へと戻って南へ走ると、左手に延々と続く金網があります。『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』(NHK取材班 NHK出版)で知ったのですが、このあたり一帯はかつて府中通信施設という在日米軍基地だったのですね。1973(昭和48)年1月、「関東平野空軍施設整理統合計画(通称:関東計画)」によって日本に返還され、南西の3分の1が「府中の森公園」、南東の3分の1が航空自衛隊府中基地、北側の3分の1が大蔵省(現在は、あの財務省)の管轄区域となりました。「関東計画」とは何ぞや。1973年に、府中の米軍基地など首都圏にある六つの米軍基地を日本に返還し、軍の機能を横田基地に集約させるという計画です。なぜか。実はこの時期、アメリカはベトナム戦争をしており、その拠点となったのが在日米軍基地です。そのためアメリカ軍の活動が活発となり、事故や騒音被害が多発、日本国民の反基地運動が激しくなりました。例えば1968年、原子力空母エンタープライズの放射能漏れや、F4戦闘爆撃機ファントムの九州大学構内への墜落などです。そこで米日両政府は、人口の密集する首都圏から基地をなくし、反基地運動を収束させたかったのですね。しかし機能が拡充・強化される横田基地のある福生(ふっさ)市はたまりません。そこで福生市や市民をなだめるために、まず日本政府は周辺対策事業費として468億円を福生市に提供します。さらにアメリカ軍は、騒音の原因であるF4戦闘爆撃機ファントム部隊を、沖縄の嘉手納基地に移転することによって、騒音被害を大幅に軽減させました(1971)。米軍基地への反発が起こると、人の少ない所へ移転させる。あるいは巨額のお金を自治体に渡して宥めるという手法ですね。これにより福生市での反基地運動は終息しました。なお公園北側の財務省管轄区域はどういうわけか立ち入り禁止ですが、金網越しに巨大なパラボラ・アンテナや廃墟が見られるそうです。
 とりあえず一周してみましょう。府中の森公園の手前で左折すると、かつての宿舎らしき建物が見えました。図書館のところでさらに左折して金網に沿って走っていると、浅間町二丁目アパートのあたりで、木々の上に顔を出す二つの巨大なアンテナを遠望できました。かつて都内にいかに多くの米軍基地があったか、そして政府はそれを郊外や沖縄に押しつけて不可視化し、都民が無関心になっていったかを物語る証人です。
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 なお『散歩の達人』によると、ここ府中はわが敬慕する宮本常一が終の棲家としたところです。彼に関する足跡めぐりや、多磨霊園に眠る歴史的人物の掃苔は、日を改めて再訪することにしました。
 ふたたび東八道路へ戻って東へと走り、多磨霊園に到着。広い園内を自転車で走り、かつての給水塔である「シンボル塔」に着きました。なかなかモダンな意匠ですが、今でも使用されているのでしょうか。かつては塔頂部から水が噴き出し、子どもたちが水遊びをしていたそうです。
 東八道路をさらに東行し、天文台通りを右折してすこし走ると国立天文台です。かつて麻布にあった東京天文台が大正期にここ三鷹に移転したものです。訪れるのは初めてですが、素晴らしいところですね。武蔵野の面影を残す森の中に、旧図書庫、レプソルド子午儀室、ゴーチェ子午環室、大赤道儀室、アインシュタイン塔、第一赤道儀室など、戦前に建てられた古い研究施設が点在しています。不学ゆえにその役割や機能についてはとんと分かりませんが、見ているだけで宇宙への憧れがふつふつと沸いてきます。入場無料だし、人も少なく静謐だし、森林浴もできるし、煙草が吸える場所もあるし、ベンチもあるし、平日には食堂も開いているしと、申し分のない場所です。
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 そして天文台通りを北上し、武蔵境駅へとうちゃこ。ブロンプトンを折りたたんで列車に乗り、ふたたび高円寺駅で下車しました。自転車を組み立てて、駅の北にある「ギャラリー来舎」に向かいました。先日、地下鉄丸ノ内線新高円寺駅に貼ってあったポスターで、「熊楠」展がこちらのギャラリーで開かれることを知ったので駆けつけた次第です。熊楠ファンにして猫フリークの私としては、これは見逃せません。純情商店街を抜け、庚申通り商店街の路地を入ったところにギャラリーがありました。その前に自転車を置き鍵をかけていると、何たる奇遇、猫が片足を垂直に上げて股座を舐めているではありませんか。失礼して写真を一枚。小さなギャラリーに入ると、学者のような雰囲気の方がにこやかに出迎えてくれました。開口一番、「お目当ては熊楠ですか、猫ですか」。はい、両方です。熊楠が描いた猫のイラストや、彼と猫に関するエピソードなどを楽しく拝見させていただきました。熊楠が飼い猫につける名前は必ず「チョボ六」だったそうです。ご亭主曰く、"チョボ"とは「小さくて可憐」という意味だそうです。また熊楠は、生命は過去から未来へと連続するものであり、そこには個という存在はなく、よって名前もひとつでよいと考えていたのではないかと説明してくれました。大英博物館や紀伊田辺の話など知的雑談に花を咲かせた楽しいひと時でした。自分と山ノ神のお土産に、熊楠が描いた猫のクリアファイルを購入し、丁重にお礼を述べてギャラリーを退室。
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 ブロンプトンに乗って自宅へ戻ると、近くの洋食屋「パラディソ」のご主人からが手に入ったという電話があったと山ノ神が教えてくれました。これは嬉しい、夕食に伺いますとさっそく連絡。シャワーを浴びてエビスビールをくいっと飲み干せばこの世は天国さ。「フィルモア・イーストのオールマン・ブラザーズ・バンド」を小音量で流しながら、しばし午睡。
 夕刻になったので、山ノ神と「パラディソ」に向かいました。最近その存在に気がつき、おいしい多国籍料理と御主人のほのぼのとした人柄に惚れて贔屓にしております。さっそく鯖の刺身をいただき、その美味に舌鼓を打ちました。
 家に帰って、山ノ神が録画してくれた「タモリ倶楽部」の空耳アワーと「ブラタモリ」を鑑賞。下田編では、灯台マニア垂涎の神子元島灯台を訪れるシーンがあり感激しました。ああ私もいつの日にか行ってみたい。
 J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」第6番プレリュードを少し練習して、風呂に入り、布団にもぐりこんでウィスキーをちびりちびりと飲みながら『天王山 沖縄戦と原子爆弾』〈上〉(ジョージ・ファイファー 早川書房)を読みました。さてそろそろ寝るか、スタンドの明かりを消すと、驟雨が屋根を打つ音が聞こえてきました。そういえば寺田寅彦の随筆にあったっけ…
 来そうな夕立がいつまでも来ない。十二時も過ぎて床にはいって眠る。夜中に沛然たる雨の音で目がさめる。およそこの人生に一文も金がかからず、無条件に理屈なしに楽しいものがあるとすれば、おそらくこの時の雨の音などがその一つでなければならない。
 経済成長とは何の縁もない、平々凡々な、でも素晴らしい土曜日でした。

 本日の六枚、上から関東医療少年院給水塔、在日米軍旧府中通信施設、多磨霊園シンボル塔、国立天文台図書庫、高円寺の猫、「パラディソ」の鯖の刺身です。
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by sabasaba13 | 2018-06-11 08:20 | 鶏肋 | Comments(0)