2018年 08月 27日 ( 1 )

ジハード

c0051620_10223696.jpg 彩の国さいたま芸術劇場で開催されている「世界最前線の演劇」シリーズの『ジハード -Djihad-』の紹介記事を読んでいたく興味をひかれました。作者のイスマエル・サイディはモロッコ系移民の子として、ベルギーで生まれ育った方です。彼の元同級生がイスラム国の戦闘員となってテレビに映し出された姿を見て、"イスラム教徒の移民コミュニティで育った若者たちがいかにジハード(聖戦)に関心を示し、なぜ加担してしまうのか"を、演劇を通じて多くの人に伝える必要があると考え、生まれた作品です。2014年12月にベルギーで初演されると多くの議論と共感を呼び、ベルギー政府公認のもと国内の学校で教育の一環として上演されているほか、現在もヨーロッパ各地で上演され続けているそうです。
 さっそくチケットを購入して、山ノ神と一緒に彩の国さいたま芸術劇場へ行ってきました。JR埼京線与野本町駅から、カンカン照りの酷暑の中を喪家の狗のようになりながら十分ほど歩いて到着。ぜいぜい。山ノ神は何度もここに観劇に来ており、一昨年逝去された演出家の蜷川幸雄氏が芸術監督を務めていたと教えてくれました。なお役者の方々が所属する「さいたまネクスト・シアター?」も次代を担う若手の育成を目的として2009年に故蜷川幸雄氏が立ち上げ、以降公演を通した実践的な俳優育成を行っている若手演劇集団です。きっと蜷川氏の罵声と怒号に鍛え上げられた若き役者たち、素晴らしい演技を期待します。
 会場は、「NINAGAWA STUDIO」という愛称が付けられた大稽古場、殺伐とした粗削りな雰囲気がこの芝居にマッチしそうです。席は一番上、後ろの壁との間に隙間があって、覗き込むとまるで奈落です。これも登場人物の心象風景を予感させてくれました。
まずはパンフレットから、あらすじを引用します。
 ベルギーのブリュッセルに住む移民2世の若者、ベン、レダ、イスマエル。3人は「ジハード(聖戦)」に参加するため、内戦の続くシリアに旅立とうとしている。ベルギー社会とイスラム教コミュニティのはざまで、自分の愛するものを禁じられ、行き場のない思いを抱える彼らは「ここではないどこか」を求めていた。彼らは戦場で何を見つけるのか、そして愛と情熱の行方とは─。
 冒頭、イスマエル役の堀源起が語るモノローグの中で、「ジハード(聖戦)とは、より良い社会をつくるための格闘だ」という言葉が心に残りました。ジハード=自爆テロという私たちが抱えがちな偏見や予断を解きほぐすような一言です。ムスリムだって、キリスト教徒だって、仏教徒だって、無神論者だって、より良い社会を求めているだけなんだと信じたくなりますね。
 物語は、アラブ人移民二世青年三人組が、シリアでのジハードに参加するための資金づくりに四苦八苦する場面から始まります。漫画を描くのが趣味のイスマエル(堀源起)、信仰心が篤くエルビス・プレスリーが大好きなベン(竪山隼太)、信仰心が薄くキリスト教徒の白人女性と交際しているレダ(小久保寿人)。ベルギー社会で受ける差別に苛立つ一方、シリア内戦での悲惨な被害者たちへの同情心からシリアへ赴こうとする三人です。『9・11後の現代史』(講談社現代新書2459)の中で、酒井啓子氏がこう的確に述べられています。
 ヨーロッパ社会から疎外され、ドロップアウトしたイスラーム系移民二世が、「ひとかどの人物」になれる機会かもしれないと期待して合流したのが、ISだったのだろう。ISに限らない。後に触れるアルカーイダもまた、欧米在住のイスラーム教徒に対して、似たような勧誘を行っていた。そしてそうしたイスラーム系ヨーロッパ人の多くが、連日報道されるシリア内戦での被害者の無惨な姿を見、アサド政権やシリアを空爆する欧米諸国に一矢報いてやりたいと考えて、シリアに馳せ参じたのである。(p.40)
 なおこのあたりまではコミカルなタッチで笑いが絶えず、特にレダのボケとイスマエルのツッコミは抱腹絶倒でした。ブリュッセルから空路イスタンブールへ、そしてアレッポ、ダマスカスへと到着した三人ですが、そこは大義も正義もない殺戮の場でした。その恐怖と緊張と絶望を、三人は迫真の演技で表現しています。やがてベンは狙撃されて殺され、イスマエルとレダは自分たちの居場所はやはりブリュッセルしかないと帰国を決意しますが、そのレダもドローンによって殺されてしまいます。このレダは実に愛すべきキャラクターで、明るくて軽くて良い加減で優しく、こんな友人がいたらなあとすっかり感情移入していました。その彼が、遠隔操作で動く機械により匿名の加害者によって殺害される。劇とはいえ、激しい怒りを覚えました。実際に、友人や家族や恋人をドローンに殺されたら、どのような憤怒を感じるでしょう。絶対に殺されない安全な場所でぬくぬくとしながら、ドローンを操作してゲームの如く他者を殺害する卑劣な行為。テロリズムを生む温床の一つでしょう。
 一人ブリュッセルに帰ったイスマエルは職業安定所へ行きますが、ジハードに参加したムスリムということで「ここはあなたが来る所ではない」と言い放たれてしまいます。職がないことは殺されるも同然、緩慢なる恐怖、そう失業もテロリズムなのですね。絶望したイスマエルは胸をはだけて体に巻き付けたダイナマイトを見せ、起爆装置に手に掛けますが押すことに躊躇します。すると死んだベンが現われて自爆を促し、レダも現れて思い留まるよう説得します。彼は…

 いやあ素晴らしい劇でした。最後尾の席ということもあって、思わずスタンディング・オベーションをしてしまいました。ブラービ!
演出された瀬戸山美咲氏が、パンフレットの中でこう語られています。
 『ジハード -Djihad-』は、イスマエル・サイディさんが「今、自分たちがやらなければならない」という強い意志を持って生み出した作品です。その熱は広がり、ヨーロッパでは30万人以上の人がこの舞台を観ました。その中には、移民やイスラム教徒に対して偏見を抱いていた人もいたかもしれません。テロ組織に参加しようとしていた人もいたかもしれません。この作品を観たことで彼らの意識は少しだけ変わったかもしれません。「演劇に世界は変えられるか」という問いはよく掲げられますが、この作品は実際に世界を変え始めています。
 イスマエルさんたちの熱は日本まで届きました。そして堀源起さんたちが手を挙げてくれて上演が実現しました。さいたまネクスト・シアターのメンバーにとっても、この作品は「今、自分たちがやらなければならない」ことだったのだと思います。この戯曲は、「テロに参加する移民2世のムスリムの現実」という日本で暮らしていると少し遠く感じそうなことが書かれています。しかし、登場人物たちの抱く感情は、同時代を生きる私たちと通じるものです。居場所が見つけられずもがく彼らは、まるで私たちや私たちの友達のようです。
 そういった「わかる」感覚と、「わからない」ことのはざまを全員で行き来しながら稽古を重ねました。私たちの日常に置き換えられることもあれば、前提から積み上げていかなければならないこともありました。前提を知るために、人にお会いしたり、本を読んだりするうちに、日本にも同様の問題があることを知りました。私たちの身の回りには気づいていないだけで、たくさんの孤独が存在していました。今、あらためてこの戯曲を上演する意味について考えています。
 漫画やプレスリーの好きなありふれた若者が、差別によって居場所を奪われ自己実現の道を阻まれ、テロや暴力へと追いこまれていく。犠牲やリスクを少数者や弱者に押し付けて、多数者や強者が安穏に暮らす、そうした構造的な差別がなくならない限り、世界から暴力はなくならないのでしょうか。大きな視点から言うと、下記の状況だと思います。『9・11事件の省察 偽りの反テロ戦争とつくられる戦争構造』(木村朗編 凱風社)から引用します。
 世界自然保護基金(WWF)がエコロジカル・フットプリント分析(環境負荷や資源消費を面積に換算する手法)を用いて試算した「生きている地球レポート(Living Planet Report)」によると、世界中が「大量採取・大量生産・大量消費・大量廃棄」の「アメリカ式生活様式(American Way of Life)」を採用するならば、「五・三個の地球」が必要になるという。世界中が日本並みの消費をすると「二・四個の地球」が必要になるという。しかし、地球は一個しかない。「先進国(特に米国)の現存世代が第三世界と将来世代と自然界を犠牲にして豊かさを享受する石油文明」という構造的暴力を維持するために、戦争が必要」なのであろう。(p.178~9)
 そして"より良い社会をつくるための格闘"にどうやって加わるかについても考えさせられました。まずは私たちの身の回りにあふれている「差別」について関心を持ち、憤り、そうした状況を放置・黙認している政党の候補者にはびた一票投じないことでしょう。
 例えば沖縄。
ガリコ美恵子さんインタビュー 日本はパレスチナ弾圧の"共犯"になるのか

 7月に北海道パレスチナ医療奉仕団の招待で来日した、ショーファット難民キャンプの国連医療診察所所長、サリーム・アナッティ医師が沖縄を訪問してパレスチナに帰国後、「パレスチナの状況は沖縄とそっくりだ」と語りました。
 人権を顧みない国家権力に対して声を上げ、生きる権利を守ろうとする闘いは沖縄でも、ここパレスチナでも続きます。(『週刊金曜日』 1153号p.39)
 例えば福島。ぜひ『地図から消される街』(青木美希 講談社現代新書2472)をご一読ください。
 そして日本に逃れてきたクルド人の方々。
日本に暮らすクルド人 法の外で生きる フェデリコ・ボレッラ

 トルコの治安当局による迫害を逃れて家族とともに10年前に来日したAさんは、家族を養うためにさまざまな会社で道路工事や住宅の建設、下水道の整備などの仕事をしてきた。仮放免の許可書を手にしながら身の上を語る彼は、日本への入国時に東京入国管理局に収容され、一時的に解放されている身分であり、働くことを許されていない。入国管理局は現在、彼の難民申請を審査中だが、いつどんな理由で再び収容されても不思議ではない。
 6年前に来日したBさんは、就労が可能な「在留特別許可」を持っており、古い家屋の解体作業などをして働いている。同じ仕事場ではほかにも4人のクルド人が働いているが、彼らは労働の許可が得られていない。
 人口減少が進む日本では、労働者不足が叫ばれはじめて久しい。中でも建設業界は、2020年の東京オリンピックに向けて人手不足が深刻だ。高齢者と女性の労働力を活用すべきだと宣言している安倍晋三首相は、「建設産業で働く女性がカッコイイ!」というモットーを掲げたウェブサイトまで立ち上げた。そして、何千人もの外国人「インターン」の力と、いわゆる「技能実習制度」を最長10年へと延長することでこの人手不足を乗り切ろうとしている。
 政府は、日本に逃れてきたクルド人に対し、難民としての保護や、移民としてこの国で生きるための権利を与えることはせず、いつでも追い出せるような形で、違法とはしながらも日本人が敬遠しがちなきつい仕事に就くことを黙認している。難民申請者の多くが危険な建設現場や解体業者の元で違法に働くという矛盾した状況は、政策として意図的につくりだされているのだ。
 日本は2016年の時点で、難民問題を扱う国連難民高等弁務官事務所への拠出金ランキングは世界第5位だ。しかし、国際人権組織に多くのお金を出すこの国は、難民性の高い人々の保護はおろか、何年も一緒に暮らし、ともに働いている外国人たちを迎え入れることには、決して熱心ではない。(『DAYS JAPAN』 2018 6月p.24)
 まず知ることから始めましょう。

 劇場から出る時に、故蜷川幸雄氏のメモリアルプレートがあり、次の言葉が刻まれていました。
 最後まで、枯れずに、過剰で、創造する仕事に冒険的に挑む、疾走するジジイであり続けたい。

by sabasaba13 | 2018-08-27 06:46 | 演劇 | Comments(0)