2018年 09月 20日 ( 1 )

『焼肉ドラゴン』

c0051620_628395.jpg 『焼肉ドラゴン』という映画の予告編を何回か見たのですが、なんだかなあ、「三丁目の夕日」みたいだなあと臆断しまったく食指が動きませんでした。ところがぎっちょん、原作はさまざまな賞を総なめした演劇だったのですね。作者は鄭義信氏、『赤道の下のマクベス』も彼の作品でした。その彼が初監督に挑んだのが本作。さらに『週刊金曜日』(18.6.22)に、この映画に関する彼のインタビューが掲載されていました。
 芝居を観た人が、生きて泣いて笑った人(在日日本人)がいたことを誰かに語り、僕が死んでも再演されることで語り継がれ、人々の記憶に残っていくでしょう。それは「記録する演劇」であり、歴史認識を変えることになるかもしれません。(p.56)
 うーん、良いこと言うなあ。たしかわが敬愛するジョージ・オーウェルがどこかでこんなことを書いていました。
 私が「ナショナリズム」と言う場合に真っ先に考えるものは、人間が昆虫と同じように分類できるものであり、何百万、何千万という人間の集団全体に自信をもって「善」とか「悪」とかのレッテルが貼れるものと思い込んでいる精神的習慣である。
 兎の逆立ち、耳が痛いですね。「朝鮮人=悪」などという下劣なプラカードを掲げてヘイト・デモをしている方々に届けたい言葉です。そうした忌むべき精神的習慣をなくすには、どんな集団でもひとりひとりの人間に名前があり、顔があり、暮らしがあり、生きて泣いて笑っているのだと知ることです。鄭氏はそれを演劇で、そして映画で表現しようとしているのだと思います。これは見に行かなくては。

 好月好日、山ノ神を誘って「ユナイテッドシネマとしまえん」に観に行きました。まずは公式サイトからストーリーを紹介します。

 万国博覧会が催された1970(昭和45)年。高度経済成長に浮かれる時代の片隅。関西の地方都市の一角で、ちいさな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む亭主・龍吉と妻・英順は、静花、梨花、美花の三姉妹と一人息子・時生の6人暮らし。失くした故郷、戦争で奪われた左腕。つらい過去は決して消えないけれど、"たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる"それが龍吉のいつもの口癖だった。そして店の中は、静花の幼馴染・哲男など騒がしい常連客たちでいつも賑わい、ささいなことで、泣いたり笑ったり―。
 そんな何が起きても強い絆で結ばれた「焼肉ドラゴン」にも、次第に時代の波が押し寄せてくるのだった―。

 いやあ、素晴らしい映画でした。時にはいがみ合い、時には助け合いながら、貧困と差別の中で懸命に逞しく生きる在日コリアン家族を、キム・サンホ(龍吉)、イ・ジョンウン(英順)、真木よう子(長女・静花)、井上真央(次女・梨花)、桜庭ななみ(三女・美花)、そして大江晋平(長男・時生)が見事に演じ切っていました。中でも「南無阿弥陀仏、大観世音菩薩、つけをためている連中が、全部払ってくれるように」と仏壇に祈る、ユーモラスでおおらかな英順がいい味でした。在日コリアンにも、私たちと同じように、顔があり、名前があり、喜怒哀楽があり、人生があるというごくごく当たり前のことを思い知らせてくれました。
 そして「小さな焼肉屋の、大きな歴史を描きたい」と語る鄭監督の言葉通り、この映画を十全に理解するには歴史を知る必要があります。龍吉は隻腕なのですが、これは日本軍兵士として戦わされた結果です。1910(明治43)年に日本に併合された朝鮮では、1944(昭和19)年から徴兵制が施行され、21万人の朝鮮人が戦場に送られました。龍吉もその一人だったのですね。
 さりげなく紹介されますが、彼は済州(チェジュ)島出身です。済州島は第二次世界大戦末期に日本によって要塞化され、島の住民はアルトル飛行場という巨大な日本海軍の航空基地建設のため強制徴用されました。この飛行場は1937年、日本軍の南京への爆撃機が出撃した前哨基地となりました。日本から解放された直後から三年間、島はアメリカ陸軍司令部軍政庁の直接支配下に置かれました。そして朝鮮半島を分断しようとするアメリカの動きに島の住民が抵抗し、蜂起した時に、アメリカは市民の無差別な虐殺を直接命令しました。記録されているだけでも3万人が殺され、87の村が消滅させられました。いわゆる四・三事件です。おそらくこの事件に関連して、龍吉は故郷に帰れなくなったのでしょう。
 日本の植民地支配から解放された後、約60万人の朝鮮人は日本に残りました。植民地支配によって生活を破壊されて故郷を離れなければならなかったわけですから、ただちに朝鮮半島で暮らせるようにはなりません。この人々を管理するため、1947(昭和22)年5月に昭和天皇の最後の勅令として「外国人登録令」が制定されます。朝鮮人などを外国人とし、憲法上の国民の権利義務の枠組みから排除するための法令でした。
 さらに1952(昭和27)年4月、サンフランシスコ講和条約の発効に伴い、日本在留の朝鮮人と台湾人は日本国籍を失う、と日本政府は一方的に宣言しました。これをもって、在日朝鮮人は、公営住宅入居の権利を含む主要な社会福祉を受ける権利を失います。戦後の数十年間に日本の福祉制度が発達していくなかで、こうした排除の規定はますます強化されていきました。たとえば、1959(昭和34)年に発足した国民健康保険と国民年金制度では、日本在住の外国人は除外すると明確に規定されています。さらに在日朝鮮人は外国籍のゆえに医療などの専門職から排除され、公務員の職からも閉め出され、凄まじい打撃を蒙ることになりました。こうした没義道な行為をした政府と、それを批判しなかったほとんどの有権者、忘れてはいけない歴史的事実です。龍吉をはじめ、映画に登場する在日コリアンたちの貧困を理解する重要なポイントです。
 こうした日本政府による差別・いじめ・嫌がらせが、子どもたちに影響しないわけがありません。長男の時生は、学校で、背中に「キムチ」、机に「チョーセンへ帰れ」と書かれるなど凄惨ないじめにあって失語症となり、最後は死に追い込まれます。
 こうした歴史を知らないと、行政から立ち退きを命じられた龍吉が絞り出すように吐いた言葉、「腕を返せ、息子を返せ」「働いた、働いた。働いた、働いた。働いた、働いた。働いた、働いた」が骨身に沁みてきます。妻・英順の「あたしはまだ頑張れるよ。今夜、息子をつくる?」という言葉が、一抹の希望と微笑みを与えてくれますが。

 なお長女・静花と幼馴染・哲男(大泉洋)夫婦が北朝鮮に移住するというエピソードが挿入されますが、これは「北朝鮮帰国事業」と関連するのでしょう。詳細については、『北朝鮮へのエクソダス』(テッサ・モリス=スズキ 朝日文庫)をご一読ください。

 面白く、悲しく、奥深く、そして考えさせられる素晴らしい映画でした。お薦めです。
by sabasaba13 | 2018-09-20 06:30 | 映画 | Comments(0)