2018年 10月 10日 ( 1 )

仁淀川編(43):高知(15.8)

 JR佐川駅のホームで列車を待っていると、「米日旅館」という看板が見えました。「日米関係とか、日米安保条約とか、"日米"という表記が当たり前にされているが、宗主国-属国という関係からすれば"米日"とするのが正しい、現実から逃避してはいけない」という主張を感じますが、深読みかな。でも気になります。
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 「チャレンジショップさかわ&まちブラ(昼間編)」には以下のような説明がありましたが、"米日"の由来についてはわかりません。ご教示を乞う。
ビジネス旅館米日屋
 初代店主さんは戦時中カラフトで「ロ日(ろにち)商会」という店名で商売をされてたそうです。そして時代は流れ、終戦後店主さんご夫婦が食堂や旅館を営んでいたのを平成7年に二代目店主さんが建て直されビジネスホテルとして開業されました。店先の看板は昔「米日旅館」として付けられてた物をそのまま残されています。
 土讃線の列車に乗り込み、一時間ほどで高知駅に到着。まずは駅前にある観光案内所で、寺田寅彦のお墓があるところを訊ねましたが…わからないとのこと。しかたない、県立文学館で教えてもらいましょう。
 まずは食事、雨が降りそうなので、路面電車で「ひろめ広場」に行き、「明神丸」で藁焼き鰹たたきをいただくことにしまた。高知駅前から路面電車に乗って「はりまや橋」で乗り換えます。目の前を「ごめん」行きの電車が通り過ぎていきましたが、変わった地名ですね。
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 たまたま最近読んだ『白い道』(吉村昭 岩波現代文庫)の中におさめられている「致命傷の地名」という随筆に、この地名が出てきたので紹介します。
 地名を手当り次第に変えてしまった時期がある。調べてみたわけではないので、しかとはわからぬが、それは郵便番号の設定された時と一致しているように思える。郵便を配達するのに便利なように、町を勝手に区割りし、記号のような名に変えてしまった。
 その乱暴な行為の背後には、地方自治体の議員、役人の顔がのぞいている。由緒ある町名は次々に消え、気がついた時は手遅れであった。
 これは、東京都にかぎらず全国的な風潮で、なぜこんなことになってしまったのか。
 町名は、それぞれの歴史的な性格をそのまましめすもので、歴史を尊重するなら到底できぬことを、それこそ手当り次第という表現そのままに変えてしまったことは、神を恐れぬ仕業と言っても過言ではない。
 高知県の南国市に行った時、郷土史家と昼食をとりながら南国市という地名について話をきき、頭をかかえるような気分になった。
 その地の旧名は、御免であった。
 土佐藩の奉行職として藩財政を確立した野中兼山が、新しい耕地をひらくため用水路を開通させた。その中心地として町を設け、商人その他を集めるため諸税を免除し、これによって町は栄えて御免町と名づけられ、元禄以後、御免町になったのである。
 この御免町が市に昇格することになったが、なぜか御免市とはしなかった。新しい市名をつけようとしてさまざまな意見が出され、ニュー高知市という案まで出たという。ニューという英語まで半ば真面目に論議の対象となったことには、茫然とした。
 結局、南国市に決定したが、もしも御免市としたら、全国の人々に特徴のある地名として印象づけられたはずである。そして、御免という地名が歴史に裏付けされたものであることを知れば、さらに由緒ある名であることに深い感慨をおぼえたにちがいない。駅名が御免であることが、わずかな慰めである。(中略)
 過ぎ去ったことは仕方がないが、それぞれに先人のつけた由緒ある地名をいたずらに変えてしまうことは、断じてやめてほしい。(p.189~91)
 まったくもって同感です。ストーカーのように愛国心を強要するくせに、先人たちの営為に敬意を評さない政治家や官僚が多すぎます。猛省を促します。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-10-10 06:21 | 四国 | Comments(0)