2019年 02月 27日 ( 1 )

沖縄の「NO」 2

 辺野古新基地建設に、沖縄の人びとが「NO」をつきつけたというこの事実について考えると、さまざまな疑問がわいてきます、いやわかなければなりません。なぜ新基地は沖縄につくらなければならないのか、他の都道府県では駄目なのか? 新基地をつくる目的は何か? 海兵隊は何のために沖縄にいるのか、ほんとうに日本国民の安全保障のためなのか? さらに言えば在日米軍は何のために日本にいるのか、ほんとうに日本国民の安全保障のためなのか? なぜ沖縄にこれほどの米軍基地が集中しているのか、攻撃に対する脆弱性は考慮しないのか? 米政府・米軍および日本政府はなぜ普天間基地の危険性を放置しているのか? なぜ日本の主権を侵害している日米行政協定を日本政府は改正しようとしないのか? アメリカの公文書で明らかになっている米軍に関するさまざまな密約をなぜ日本政府は認めないのか、なぜ国民はそれに対して批判をしないのか? もう頭の中は"?"で一杯です。
 こうした疑問について調べ、考えないと、真の解決策も見出せないでしょう。それをしようとしない知的怠惰と、沖縄の人びとの苦しみに関心をもたない倫理的怠惰が、いま、この国に瀰漫しているようです。ちなみに福島原発事故の被害者・犠牲者の方々に対する態度も同様ですね。東京オリンピックや嵐の解散で大騒ぎしている場合ではないと思うのですが。
 個人的に、冬籠り前の栗鼠のように、この問題に関するいろいろな本を集めて読んできました。その一部を、すべて引用で恐縮ですが紹介したいと思います。歴史的な思考と、複眼的な視点を得るための一助になれば幸甚です。
『要石:沖縄と憲法9条』 (C・ダグラス・ラミス 晶文社)
 知念ウシが考えたイメージを借りよう。それを、「日本がもし100人の小学校だったら」と呼ぶことにする。その学校の百人の小学生が、99対1で、つまり、とても民主的に、決定をする。つまり、その一人が75個のランドセルを背負って、あとの99人が残りの25個を背負う、という決定だ。その一人が、「重いから、ちょっと手伝ってくれ」というと、99人が「それどころじゃない。私たちはランドセル反対運動をやっているので、それが実現するまで待ちなさい。自分の苦しむを人に押し付けることは、よくないだろう」と答える。ところが、その99人の「反ランドセル運動」は、実はあまりやられていないのだ。なぜなら、75個を他の一人に背負わせているため、ランドセルの重みをあまり感じないからだ。(知念ウシ 『ウシがゆく』 沖縄タイムス社)
 その75個のランドセルとはもちろん、沖縄にある米軍基地のことだ。沖縄に75%を背負わせていることで、本土にとって日米安保条約がほとんど無視していいぐらい、軽いものになった。その軽さと、本土日本の反戦平和運動の軽さとはつながっているだろう。つまり、日本社会の現実逃避を可能にするため、沖縄に頼ってきた。
 ところが最近の沖縄は、日本の矛盾した意識が崩れないための「要石役」を断り始めたようだ。これまで動かなかったものが、動き出すかもしれない。(p.257~8)

『ウシがゆく』 (知念ウシ 沖縄タイムス社)
 アメリカは本当は普天間も辺野古もいらないのではないか。しかし、日本政府から引き出せるだけのものを取ってから撤退しようとしているのか。例えば、自衛隊基地の米軍による使用、在外米軍基地(たとえばグアム)での米軍費用の日本負担とか。
 また、普天間基地、辺野古移設を手放せば、アメリカの基地帝国が揺らぐ、ということもあるかもしれない。私たちが思っているほど、アメリカ帝国は強固ではないのかもしれない。なるほど、ならば、このヒステリックな反応が理解できる。普天間・辺野古は要石なのだ。それを抜くと一気に崩れてしまう。波及効果を恐れているのかもしれない。沖縄が勝利すれば、アメリカ帝国と戦っている他の地域の民衆へ勇気と希望を与えてしまう、と。(p.278~9)

『沖縄と米軍基地』 (前泊博盛 角川oneテーマ21)
 (※元日本政策研究所長のチャルマーズ・ジョンソン) 普天間問題で日米関係がぎくしゃくするのはまったく問題ではない。日本政府はどんどん主張して、米国政府をもっと困らせるべきだ。これまで日本は米国に対して何も言わず、従順すぎた。歴史的に沖縄住民は本土の人々からずっと差別され、今も続いている。それは、米軍基地の負担を沖縄に押しつけて済まそうとする日本の政府や国民の態度と無関係ではないのではないか。同じ日本人である沖縄住民が米軍からひどい扱いを受けているのに他の日本人はなぜ立ち上がろうとしないのか、私には理解できない。もし日本国民が結束して米国側に強く主張すれば、米国政府はそれを飲まざるを得ないだろう。日本政府は米国の軍需産業のためではなく、沖縄の住民を守るために主張すべきだ。(p.106)

 同報道を契機に「辺野古基地は自衛隊のためという腹づもり。だから基地の規模も大きいし耐久年数も長い頑丈なものをつくろうとしている」との見方も出ています。沖縄県内の米軍基地では、「米軍再編」合意に基づき08年からキャンプ・ハンセンで陸上自衛隊の共同使用が行われ、嘉手納基地などでも共同訓練が模索されています。
 沖縄にとっては、米軍駐留問題だけでなく、自衛隊という別の軍隊の駐留、自衛隊基地問題も今後新たな課題として浮上しそうです。(p.110)

 普天間移設問題では、名護市辺野古への新基地建設に反対する市民・住民らが建設を前提にした国の環境調査を、体を張って阻止しましたが、その際、手を焼いたとはいえ防衛省は反対運動の威圧のために掃海母艦を沖縄に派遣しています。自衛隊が米軍の基地を建設するために、軍事力を自国民に行使する、ついに自衛隊は大砲を自国民に向けるという重大な事態までも沖縄では起きているのです。しかも、女性やお年寄りも含む武器を持たない丸腰の国民に対してです。自衛隊という軍隊は、「何から何を守っているのか」という問いに対する答えが垣間見える出来事です。外国軍隊の基地建設のために、自国民に対して軍事力を行使する。かつて日本軍に虐殺された経験を持つ沖縄県民です。自衛隊も旧日本軍と変わらぬ体質、軍隊の本質を露呈したとして、この「事件」を、沖縄の新聞は糾弾しました。(p.202~3)

『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』 (矢部宏治 文/前泊博盛 監修 書籍情報社)
 そもそもこの話(※普天間基地返還)の始まりは、1995年に起きた少女暴行事件だったはずです。沖縄県民の怒りに危機感をつのらせたクリントン政権が、自分から水をむける形で橋本首相に普天間返還を提案させたのです。それがいつのまにか、うまく話をすりかえられて、辺野古に巨大な基地をつくらなければ普天間が返ってこないというような話になっている。だいたい辺野古での基地建設は、1960年代から米軍内で検討されていたプランだそうです。だからいかなる意味においても、絶対に「移設」ではありません。世界一危険で、近い将来絶対に閉鎖しなければならないボロボロの基地(+α)と、辺野古につくる新品のピカピカの基地を「交換」しようという話しなのです。
 もちろんアメリカ側の思惑だけで、こういう日本人をバカにしたような計画(移転費用+新基地の建設)ができるとは思えません。日本の官僚が論理的に反対すれば通るはずがないからです。だいたい米軍再編計画の第1原則は、「望まれないところには基地を置かない」となっているのですから。
 事実、2011年にウィキリークスが暴露したアメリカの外交文書を見ると、鳩山政権の普天間返還交渉のなかで、防衛省と外務省の生え抜き官僚たちがアメリカのキャンベル国務次官補(元国防次官補)に対し、「(民主党政権の要望には)すぐに柔軟な姿勢を示さない方がいい」(高見沢・防衛政策局長)など、完全にアメリカ側に立った発言をくり返していたことがわかっています。密室での交渉とはいえ、なぜそんなことが起こるのか。
 ひとつは…、米軍の存在自体が抑止力と位置づけられているため、いつまでもいてもらわなければ困ると本気で思っているからでしょう。もうひとつは「天皇メッセージ」のところで見たように、米軍の存在が現在の国家権力構造(国体)の基盤であることを、彼らがよくわかっているからでしょう。豊下教授の研究を援用すれば「天皇を米軍が守る」、そして戦前と同じく「その周囲は官僚が支える」、これが戦後日本の国体〔(天皇+米軍)+官僚〕であり、この体制は明治以来の「天皇の官吏」としての官僚たちの行動原理(絶対的権威のもと匿名で権力を行使する)にぴたりとはまったわけです。
 とくに昭和天皇が亡くなったあと、現在の天皇陛下は政治的行為から完全に距離をとっておられますので、国家権力構造の中心にあるのは「昭和国体」から天皇を引いた「米軍・官僚共同体」。米軍の権威をバックに官僚が政治家の上に君臨し、しかも絶対に政治責任を問われることはない。だから鳩山元首相の証言にあるように、官僚のトップが堂々と首相の指示を無視して「アメリカとの関係」を優先する。これが平成の新国体なのでしょう。
 では彼らはどうやって実際に政治家を支配しているのか。その力の源泉は、彼らが「条約や法律を解釈する権限」を独占していることだそうです。ひとつはこれまで見てきたようなアメリカとの条約やさまざまな密約、もうひとつは政治資金規正法など、非常に定義があいまいな法律の有罪ライン、こうした政治家の運命を決めてしまうような重大な問題について、最終判断を下す権限を官僚がもっているため、失脚したくない政治家は官僚におもねるしかないのです。岸・池田・佐藤・田中と、政治が金で動いた昭和の時代は、もっぱら大蔵官僚の権力にスポットライトが当たっていましたが、平成の新国体の中心にいるのは、そうした法律の解釈権をもつ外務官僚と法務官僚のようです。(p.254~5)

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 (矢部宏治 集英社インターナショナル)
 しかし、もし今回、辺野古での基地建設を認めてしまったら、それは沖縄の歴史上初めて県民が、米軍基地の存在をみずから容認するということになってしまう。それだけは絶対にできないということで、粘り強い抵抗運動が起きているのです。
 もしも日本政府が建設を強行しようとしたら、流血は必至です。日本中から反対運動に参加する人たちが押し寄せるでしょう。
 それなのに、なぜ計画を中止することができないのか。
 先ほどの1957年の秘密文書を見てください。
 「新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持しつづける権利も、米軍の判断にゆだねられている」
 こうした内容の取り決めに日本政府は合意してしまっているのです。ですからいくら住民に危険がおよぼうと、貴重な自然が破壊されようと、市民が選挙でNOという民意を示そうと、日本政府から「どうしろ、こうしろと言うことはできない」。オスプレイとまったく同じ構造です。
 だから日本政府にはなにも期待できない。自分たちで体を張って巨大基地の建設を阻止するしかない。沖縄の人たちは、そのことをよくわかっているのです。(p.73~4)

『自発的対米従属 知られざる「ワシントン拡声器」』 (猿田佐世 角川新書)
 これまで述べてきたことから、日本政府や日本の既得権益層は「対米従属」の姿勢を表では装いながら「ワシントン拡声器」を使って、実は自分らの望む政策を推進していることが、おわかりいただけると思う。
 憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認のように、自分たちに都合のいい声をワシントンに取りに行き、それを「アメリカの声」として利用する。
 原発問題では、自分たちに都合のいい「早く再稼働せよ」という声だけを選択して利用し、自分たちに都合の悪い「再処理継続への懸念」の声は拡散しないようにする。
 TPP問題のように、自分たちで「推進の声」を増幅し、「アメリカの声」として拡散させる。
 沖縄の基地問題のように、著名な知日派のなかに「辺野古移設とは別の案の検討が必要だ」という声があっても、拡声器のスイッチを切り、まるで存在しないかのようにしてしまう。
 それぞれ問題の分野は異なるが、基本的な仕組みは同じであり、メディアもこれに加担してきた。
 「アメリカの声」とは何なのか? 「アメリカ」とはいったい誰なのか? どんな意図があって、誰がその「声」を流しているのか? 別の「声」もあるのではないか?
 さまざまな疑問が出てくるのが、戦後七十年間続いてきた既存の日米関係だ。その関係は、「共犯関係」とも言える、いびつなものだ。
 自分たちに都合のいい「声」が発せられるようにと、知日派を擁する主要シンクタンクや大学などに何億という資金を提供しているのは日本政府であるが、もとをただせば、その資金は国民の税金から出ている。こうした仕組みが日本国民にまったく知られていないのは、あまりに民主主義的ではない。
 日本政府や日本の既得権益層が知日派を利用するメリットはいくつもあるが、なによりも、「費用対効果」も「時間対効果」がとても高いということがあげられる。であるからこそ多額の資金を政府が容易に振り向けるのである。
 日本の政策に多大な影響を及ぼしていることをもって、アメリカの知日派を批判する人も日本には多いが、一歩引いて考えれば、別に彼らが悪いわけではない。知日派が日本に対して、自国アメリカの利益として最善だと思うことを「こうしてほしい、ああしてほしい」と言うのは、ある意味アメリカ人としてしかたのないことである(それがアメリカという国が進めるべき政策かどうかという点についての批判はありえるが)。これら知日派は、日本から資金を得られるからといって自分の意見を変えているわけではなく、日本から資金や情報を得、日本から発言の機会を得、その結果、日本に関心を持ち続けるインセンティブを得て効果的に発信し続けているだけなのである。日本からの資金提供により、もともと彼らが持っている価値観を曲げて発言しているわけではないだろうことは、私も承知している。
 むしろ、自ら「対米従属」を選びながらそれを隠し続け、従属させられているような振りをしてきた日本政府のほうに問題がある。
 その政府を選んでいるのは私たち日本国民である。私たちがこのような実態をしっかりと把握したうえで異議を唱え、いびつな共犯関係を正すために行動していかない限り、今後もこの構図は変わらないであろう。(p.122~4)

『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声。』 (乗松聡子編著 金曜日)

【言語道断の新基地計画 差別と戦利品扱い根源に ジャン・ユンカーマン】
 この映画(※『沖縄 うりずんの雨』)を制作するにつれて見えてきたことは、辺野古の問題の根源には、この米国にとっての「戦利品」という理解と、日本の沖縄に対する差別が相互に教化し合う形で存在するということだ。日沖、米沖間の関係のこのような性質がなければ、沖縄にさらにもう一つの基地を造るなど考えつきもしないだろう。このような言語道断の計画は、他に解釈のしようがない。(p.161)

【「醜い日本人」仲間へ 乗松聡子】
 むろん沖縄の人権が守られないのは日米安保条約のせいだけではなく、日米安保条約を維持し、その具体的な負担を沖縄に押し付け続けている日本の責任である。沖縄への基地集中を許し、また新たな基地建設を黙認し、沖縄の声に耳を傾けないか他人事として知らんぷりしている多くの日本人の責任である。2015年、総工費2520億円かそれ以上と見込まれた2020年東京オリンピック用の新国立競技場建設計画に「金がかかりすぎる」と反対の嵐が巻き起こり、新聞やテレビは連日トップ扱いで報道した。元オリンピック選手が涙ながらに反対を訴えるシーンも全国に流れ、世論の重圧に耐えきれないかの如くに同年7月17日、安倍首相は計画の白紙撤回を発表した。
 かたや辺野古新基地の総工費は「少なくとも3500億円」と政府は発表しており、米側の情報をもとに、1兆円に上るという指摘もある。同じ国家的プロジェクトでも、辺野古基地よりも予算的に低いものを「お金をかけ過ぎた」との全国的な世論が巻き起こって計画を変更させることが可能なのだという現実を、沖縄の人々は見せつけられた。辺野古の基地建設については、いくら沖縄から声を上げても大勢の日本人は他人事として素通りし、報道したとしても概して「沖縄がわがままを言っている」というような報道しかせず、新国立競技場計画を変更したような勢いの世論が起こることはないからだ。国家で起こる「多数決の暴力」が全国世論レベルでも起こっている。(p.10~1)

『週刊金曜日』 №1219 19.2.8

【辺野古「反対者リスト」を警備会社が作成 国の関与の疑いが濃厚に 渡瀬夏彦】
 さて、ここで取り上げたいのは。政府による人権侵害、市民運動弾圧の恐ろしさが、すでに沖縄において、殊に新基地建設ゴリ押しの現場において、露骨な形で常態化している問題だ。14年の着工以降、不当逮捕者が50人を超えていることも恐ろしい事実だが、プライバシーの侵害も看過できない問題だ。
 1月28日と29日、『毎日新聞』は1面でスクープ記事を掲載した。それは、16年5月に『沖縄タイムス』が報道した事実に関する詳報記事と言ってよいものだった。
 辺野古・大浦湾の海上警備を担当するライジングサンセキュリティーサービスという会社(沖縄での子会社の名はマリンセキュリティー)が、14年から辺野古新基地建設強行に抗議し海上行動に参加してきた市民の顔写真入りリスト60人分を作成したという大問題。
 『毎日新聞』はこのリストを入手した上で警備会社の幹部社員に取材するなど、事実の検証を進めた。その「反対者リスト」に学歴、家族構成などの情報を克明に記された人もいる。警備会社は『毎日新聞』の取材に「沖縄防衛局調達部次長」から指示があったことを示唆している。
 ただ防衛局側は「指示」の打ち消しに躍起で、16年8月には安倍内閣としても、仲里利信衆議院議員(当時)の質問主意書に対して「『リスト』を保有しておらず、お答えをすることは困難」との答弁書を閣議決定している。(p.5)

 本日の一枚、2003年8月に山ノ神と訪れた辺野古です。
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by sabasaba13 | 2019-02-27 06:25 | 鶏肋 | Comments(0)