2019年 03月 26日 ( 1 )

奥日光編(9):日光(15.10)

 閑話休題。数分で「金谷ホテル歴史館」に着きました。1871(明治4)年、ヘボン式ローマ字綴りで有名なアメリカ人宣教医ヘボン(ジェームス・カーティス・ヘップバーン)博士が日光の地を訪れましたが、外国人を泊めてくれる宿がなく困っていました。そこへ東照宮の楽人・金谷善一郎が自宅へ招じ入れて宿を提供しました。大層感激したヘボン博士は、今後日光を訪れる外国人は増加の一途を辿るので、ぜひ外国人相手の宿泊施設を作るようにと善一郎に進言しました。善一郎はこの言葉を受けて民宿創業を決意し、自宅を改造して、1873(明治6)年に「金谷カテッジイン」を開業、これが金谷ホテルの始まりです。
 その民宿として使われた武家屋敷を一般公開しているのが「金谷ホテル歴史館」です。お目当ては、わが敬慕するイザベラ・バード女史が宿泊した部屋です。『日本奥地紀行』に記されている一文が、紹介されていました。
 部屋の一方の端は少し奥まって二つの〈床の間〉になり、この床もきれいに磨かれている。その片方には〈掛物〉といわれる壁絵(掛け軸)が掛かっている。
 満開の桜の花の小枝を白絹に描いたもので、一級の芸術品であり、このおかげで部屋全体がすがすがしさと美しさに満ちている。
 もう一つのへこんだ所(床の間)の棚の上にはまことに見事な袋戸棚があって引き戸がつき、金地に牡丹が描かれている。
 光沢のある柱の一つには真っ白の花器が掛かり、薔薇色の躑躅の小枝が一輪生けてある。もう一つの花器には一輪の菖蒲が生けられている。飾りはこれだけである。
 インクをこぼさないだろうか、畳を傷つけないだろうか、障子を破らないだろうかと常に心配になるので、こんなにも美しい部屋でなければよいのにと思うことしきりである。
 なるほど袋戸棚に描かれた牡丹の絵も残されていました。彼女がここに滞在していたのかと思うと感無量です。
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 それにしても彼女に指摘されて、今さらながら気づいたのですが、和室というものはたいへん繊細な造りなのですね。藺草を編んだ絨毯に、和紙の窓や戸。この部屋を汚し傷つけぬよう立ち居振る舞いに気を配る。それが心の在り様を美しくする。先人たちから受け継がなければいけない文化ですね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-03-26 07:18 | 関東 | Comments(0)