2019年 04月 26日 ( 1 )

姫路・大阪・京都編(6):姫路城(15.12)

 もうひとつ余談です。作家の橋本治氏に、日本美術について斬新な切り口で述べた『ひらがな日本美術史』(新潮社)という著書があります。その第三巻「その五十三 白いもの」で、姫路城について目から鱗が落ちるような考察をされています。たいへん面白く興味深いので、紹介いたします。まずは天守について。はじめての天守は、織田信長が築いた安土城につけられました。しかし天守は、城の防衛機能とは直接に関係がなく、意味もなく高いから災害や戦火にあいやすい。よって「ない方がいいもの」「へんなもの」「なんでもないもの」である。それでは信長は、なんでこんなものをつくったのか? 橋本氏曰く、「俺はえらいんだぞ」という意味を込めた軍拡競争のデモンストレーションのためである。同様に、当時は黒漆の板壁で周りを囲った「黒い城」が主流であった。信長も秀吉も、可燃性が大きいという代償を払ってでも美しく豪華な城を求めたのである。それに対して姫路城は、すべての壁面を白漆喰で塗り固めた。なぜか。以下、引用します。
 真っ白な漆喰で塗り固められた姫路城は、「耐火建築」なのである。当時の常識に従えば、これは、「美しさを排除した実用一点張りの建物」になるのである。「白鷺城」である姫路城は、現在で言えば、現代建築の象徴のような、「コンクリート打ち放し」の建物と同じなのである。だから、ここには手摺りがない。木の手摺りなんか燃えやすいからダメなのである。そう言われてみると、この美しい建物が、「燃えない」ということをひたすらに主張する巨大な建物のように見えるだろう。そうなのである-と私は思う。
 姫路城は、「美しい」を目的として造られた城ではないのである。「絶対に落ちない」ということを目的として造られた、実用の権化なのである。造られた時は「関ヶ原の合戦の後」-天下は徳川に傾いているけれど、まだ大坂冬の陣と夏の陣が残っている。豊臣方の影響力が強い「西への備え」をする拠点が、姫路城なのだ。この城が、「燃えない、落ちない、絶対大丈夫」を前提にした城になるのは当然だろう。だから、1609年に出現したこの城を、もしも大坂城の主である淀殿が見たら、きっと彼女は、「とてもお城とは思えない品のない造りね」などと言っただろう-と、私は思う。(p.160)
 自己顕示欲の時代(安土桃山時代)から、実用に徹した管理社会(江戸時代)への移行期に築かれたのが姫路城であるという見立てですね。鋭い! "ガチガチの耐火建築"という視点で眺めると、城の佇まいもちょっと変わって見えてきます。ま、美しいことには変わりありませんが。でもその美しさは、坂口安吾風に言うと"直接心に突当り、はらわたに食込んでくるもの"なのかもしれません。『堕落論・日本文化私観』(岩波文庫)所収の「日本文化私観」から引用します。
 ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ、必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。(p.135~6)
 この美しい姫路城は、美を誇るために築かれた城ではなく、絶対に焼け落ちないという必要を満たすために築かれた城なのだということを、肝に銘じましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-04-26 06:27 | 近畿 | Comments(0)