2019年 05月 12日 ( 1 )

『金子文子と朴烈』

c0051620_21514851.jpg なぬ! 『週刊金曜日』の映画評を見たら、目が点になりました。『金子文子と朴烈』という映画が作られた、しかも韓国で。そもそも金子文子とはどんな女性か。拙ブログでも触れましたが、『未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』(日中韓3国共通歴史教材委員会 高文研)にある簡にして要を得た紹介文を再掲します。
金子文子(1903~26)-朝鮮人と連帯し天皇制国家と闘った日本人

 金子文子という人を知っていますか。1923年の関東大震災の際、朝鮮人の朴烈(パクヨル)とともに検束され、皇太子(のちの昭和天皇)を爆弾で殺そうとしたとして「大逆罪」に問われて、死刑判決を受けた女性です。
 文子は横浜で生まれました。家柄を誇る父が「婚外子」(法的な結婚をへないで生まれた子)であった文子の出生届を出さなかったため、正式に小学校に入学できないなどの差別を受けたり、父に捨てられた母の再婚などのため文子の少女時代は不幸でした。9歳の時、朝鮮に住む父方の親戚の養女となりましたが、権威的なその家でひどくいじめられました。三・一独立運動を目撃した時、強者に抵抗する朝鮮の人たちに「他人事とは思えないほど感激した」といいます。
 16歳で養女を解消されると、実父が勝手に結婚を決めたため、その圧力を逃れて東京で苦学しているときに社会主義・無政府主義などに出会いました。そしてこれまでの体験から「一切の権力を否定し、人間は平等であり自分の意思で生きるべきだ」という思想に到達しました。さらに、さまざまな法律や忠君愛国・女の従順などの道徳は「不平等を人為的に作るもので、人々を支配権力に従属させるためのしかけである。その権力の代表が天皇である」と考えました。
 19歳の時、日本帝国主義を倒すことを志す朴烈と同志的な恋愛をして一緒に暮らすようになり、「不逞社」を結成します。朝鮮の独立と天皇制の打倒を志す二人は、爆弾の入手を計画はしますが、実現できないうちに検束されました。
 若い二人は生き延びることよりも、法廷を思想闘争の場にしようと考えて堂々と闘いました。死刑判決後、政府は「恩赦」で無期懲役にしましたが、文子はその書類を破り捨て、3カ月後、獄中で自殺しました。23歳でした。民族や国家を超えて同志として朴烈を愛し、被抑圧者と連帯し、自前の思想をつらぬいた一生でした。(朴烈は1945年に解放されました) (p.84~5)
 一体どんなふうに彼女を、そして朴烈を描いたのだろう。これは是が非でも見に行かなければ。あまり気が乗らない様子の山ノ神を無理に誘って渋谷のシアター・イメージフォーラムに行きました。地下鉄副都心線に乗ると、駅構内に「河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」という、サントリー美術館のポスターがありました。うわお、これも見たい。河鍋暁斎展は次の日曜日に行くことにしました。
 まずは映画の公式サイトから、あらすじを引用します。
 1923年、東京。社会主義者たちが集う有楽町のおでん屋で働く金子文子は、「犬ころ」という詩に心を奪われる。この詩を書いたのは朝鮮人アナキストの朴烈。出会ってすぐに朴烈の強靭な意志とその孤独さに共鳴した文子は、唯一無二の同志、そして恋人として共に生きる事を決めた。ふたりの発案により日本人や在日朝鮮人による「不逞社」が結成された。しかし同年9月1日、日本列島を襲った関東大震災により、ふたりの運命は大きなうねりに巻き込まれていく。内務大臣・水野錬太郎を筆頭に、日本政府は、関東大震災の人々の不安を鎮めるため、朝鮮人や社会主義者らを無差別に総検束。朴烈、文子たちも検束された。社会のどん底で生きてきたふたりは、社会を変える為、そして自分たちの誇りの為に、獄中で闘う事を決意。ふたりの闘いは韓国にも広まり、多くの支持者を得ると同時に、日本の内閣を混乱に陥れていた。そして国家を根底から揺るがす歴史的な裁判に身を投じていく事になるふたりには、過酷な運命が待ち受けていた…。
 監督はイ・ジュンイク、パンフレットを購入して彼は尹東柱(ユン・ドンジュ)を描いた『空と風と星の詩人』という映画をつくっていることも知りました。これもぜひ見てみたい。
 「不逞社」の人たちがラジオ放送を聞き(※放送開始は1925年)、水野一人に全ての責を帰すなど史実と違うところも一部ありますが、おおむね歴史的事実に基づいたわかりやすい内容になっています。二人を弁護した布施辰治が登場するのも嬉しい限りです。
 この映画の見どころは、単純に日本の国家権力と民衆による朝鮮人虐殺を糾弾するのではなく、強大な国家権力にしたたかに抗う二人の若者の姿です。朝鮮人虐殺を糊塗するために、大逆罪を犯そうとした朝鮮人が実際にいたことをアピールしようとする日本政府。そのためには何としてでも裁判を成立させなくてはならず、その弱みにつけこんで二人はさまざまな要求をつきつけます。仲睦まじく寄り添う二人を写真に撮らせる(※いわゆる怪写真事件)、あるいは民族衣装で法廷に出ることを要求する。華やかな民族衣装で出廷した二人は、裁判をまるで結婚式のように仕立て上げてしまいます。
イ・ジュンイク監督は、プログラムの中でこう語っておられました。
 本作を通して、私は一人の青年の純粋な信念に光を当てたかった。そして今日の世界に生きる私たち全員に問いかけたかった。日本植民地時代の朴烈のように、私たちは世界と真正面から向き合っているだろうかと。
 そう、朴烈と、直接には触れていませんが金子文子の二人の姿を通して、世界と、そして権力と真正面から向き合おうという監督からのエールがびしびしと伝わってきました。
主役の二人を演じた俳優の演技が素晴らしい。ふてぶてしく、したたかに、ユーモラスに権力と闘いながらも時に憂愁の影がよぎる朴烈を、イ・ジェフンが見事に演じ切っていました。それに輪をかけて素晴らしかったのが、金子文子を演じたチェ・ヒソです。獄中で文子が書いた手記『何が私をこうさせたか』(筑摩叢書286)の中で、彼女はこう綴っています。
 「ああ、もうお別れだ! 山にも、木にも、石にも、花にも、動物にも、この蝉の声にも、一切のものに…」
 そう思った刹那、急に私は悲しくなった。
 祖母や祖父の無情や冷酷からは脱せられる。けれど、けれど、世にはまだ愛すべきものが無数にある。美しいものが無数にある。私の住む世界も祖母や祖父の家ばかりとは限らない。世界は広い。
 母の事、父の事、妹のこと、弟のこと、故郷の友のこと、今までの経歴の一切がひろげられたそれらも懐かしい。
 私はもう死ぬのがいやになって、柳の木によりかかりながら静かに考え込んだ。私がもしここで死んだならば、祖母たちは私をなんというだろう。どんな嘘をいわれても私はもう、「そうではありません」といいひらきをする事は出来ない。
 そう思うと私はもう、「死んではならぬ」とさえ考えるようになった。そうだ、私と同じように苦しめられている人々と一緒に苦しめている人々に復讐をしてやらねばならぬ。そうだ、死んではならない。
 私は再び川原の砂利の上に降りた。そして袂や腰巻から石ころを一つ二つと投げ出してしまった。(p.84)
 世界の美しさと広さを認識する感受性、弱者・貧者への共感と連帯感、強者・富者への批判と憤怒、そうしたものを併せ持った金子文子という多面的で自立心の強い女性を、きわめて魅力的に演じていました。時には怜悧な小悪魔のような、時には清楚な少女のような、時には強健な闘士のような文子を演じ分けたその力量には脱帽です。ちょっとした表情やしぐさや視線で文子の多面性を表現したその演技には、鳥肌がたつほどに見惚れてしまいました。
彼女の演技だけでも必見の映画です、お薦め。

 それにしても、韓国映画の豊饒さと質の高さには驚いてしまいます。その理由の一端が、『週刊金曜日』(№1223 19.3.8)に載っていた、片山慎三監督へのインタビューでわかりました。(聞き手:中村富美子)
 日韓の映画業界の体質の違いにも敏感だ。売れ筋の原作で観客動員を見込む日本の映画業界の傾向に対し、韓国では「結末がわかっているようなものを作って何が面白いんだ、という考え。2~3年かけ、お金もかけてオリジナル脚本をちゃんと書く。だから全然違う。それが悔しかったです、韓国映画を見ていて」。
 それは国の文化政策の差でもある。脚本執筆中は無収入が普通の日本と、申請すれば国からの援助があって生活費に充てられる韓国。「それでヒットしたら興行収入を国に還元し、それがまた将来の支援へと回される」。この循環が、韓国映画の質を支えている。(p.50)
 嫌韓を叫んでストレスを発散させる方々にこそ、ぜひ見ていただきたい映画です。韓国から学ぶべきことは、けっこうありますよ。
by sabasaba13 | 2019-05-12 06:46 | 映画 | Comments(0)