2019年 05月 14日 ( 1 )

河鍋暁斎展

c0051620_1341966.jpg 映画『金子文子と朴烈』を見に行くときに駅構内のポスターで知った河鍋暁斎展、山ノ神とともに訪れてきました。場所は六本木、東京ミッドタウンのガレリア3階にあるサントリー美術館です。ミッドタウンの桜も八分咲き、たくさんの人びとが詰めかけてスマートフォンで写真を撮っていましたが、展覧会会場も大混雑なのかな。まいったなと懸念したのですが杞憂でした。閑古鳥が鳴くほどではありませんが、牛歩の如き速度で列は流れていきます。
 まずはチラシの紹介文を引用しましょう。
 多様な分野で活躍した画鬼・河鍋暁斎、その画業については、長らく諷刺画や妖怪画などに焦点が当てられてきました。しかし近年の研究により、駿河台狩野家の伝統を受け継ぐ筆法と、独特な感性をもとに活躍の場を広げていった姿が明らかになりつつあります。
 卓越した画技を持っていた暁斎は、着色と水墨の両方を使いこなし、仏画・花鳥画・美人画など、多岐にわたるジャンルで優れた作品を遺しました。
 本展では、国内の名品およびイギリスからの里帰り作品を含む約120件によって、幕末・明治の動乱期に独自の道を切り開いた暁斎の足跡を展望するとともに、先人たちの作品と真摯に向き合った暁斎の作画活動の一端を浮き彫りにします。
 “その手に描けぬものなし”というサブタイトルとは、よくぞつけたもの。天馬の如き彼の筆は、天衣無縫にさまざまなものを描き尽くします。真面目な仏画、艶っぽい美人画、笑いをさそう風刺画や動物画、身の毛もよだつような残酷な絵や幽霊の絵。ただ見惚れるのみ。
 気に入った作品をいくつか紹介しましょう。水墨画の技の冴えを見せてくれるのが「枯木寒鴉図」。枯れた枝に屹立し、前方をきっと凝視する一羽の烏の凛とした佇まいに、思わず背筋が伸びます。筆と墨だけで、その烏の姿を通して“孤高”をこれほど完璧に表現した暁斎、脱帽です。
 「美人観蛙戯図」は、団扇を手に涼をとる妙齢の美人を描いています。彼女が微笑みながら見つけているのは、足元で遊んでいる蛙たち。「鳥獣戯画」を換骨奪胎したものでしょう、相撲をとったり、腕組みをしたり、煙管をくわえたり、子蛙を背負ったりと、さまざまな蛙の姿を生き生きとユーモラスに描いています。真面目な美人画と空想的な鳥獣戯画の合体、これぞ暁斎。
 思わず緩頬してしまうのが「貧乏神図」。ぼろぼろの服を着て渋い面の貧乏神は、もうこれ以外の姿は想像できないようなリアルさです。よく見ると、足元には注連縄でつくられた結界があり、彼がそこから出られないようになっています。おまけに表装もわざとぼろ布を使った手の込みよう。
 「大仏と助六」は、遊び心にあふれた絵です。縦長の紙に大仏の顔左半分を描いた大胆不敵な構図。しかも助六が踊りながらその鼻の穴に入ろうとしています。鼻道と花道の駄洒落なのですね。これが宴席で頼まれて即興で描いた絵(席画)だというのですから驚きです。
 仰向けに浮かぶ鯰に乗った猫と、曳き舟のように長い髭を引っ張る二匹の猫を描いた「鯰の船に乗る猫」は諷刺画です。当時、政府の高官をその髭から鯰になぞらえたそうです。また国家を揺るがす地震を引き起こすという意味もあったようです。その鯰を手玉にとる猫たち、その意気やよし。なお暁斎は、1870(明治3)年、40歳のとき、書画会で描いた作品が政府高官を嘲弄したとして投獄されましたが、こうした作品なのかもしれません。
 暁斎がますます好きになってしまう、素敵な展覧会でした。

 なおカタログに、暁斎の弟子であり友人でもあった建築家ジョサイア・コンドルが寄せた追悼文が載っていたので転記します。
 (暁斎は)忍耐強く自然を観察し、また古人の作で価値あるものをことごとく敬虔な態度で模写した人であったが、その作品にはつねに独創性と天稟の才が横溢していた…彼はその独立不羈の性格と何でも描ける多才な技量により、免状ばかりで精神を伝えぬ一流派の束縛を長く免れることができた…彼は自ら構成した活気溢れる絵画の世界を一絵師として孤独に生き、古き巨匠の偉大なる魂を友としたが、今やその霊と相接しているのである。(p.194)
 彼の画業をよく理解し、そして敬愛の念をこめた素晴らしい追悼文ですね。
 余談ですが、暁斎が生まれた古河、彼が訪れた須坂の訪問記を上梓してありますので、よろしければご笑覧ください。
by sabasaba13 | 2019-05-14 06:20 | 美術 | Comments(0)