2019年 06月 01日 ( 1 )

木の上の軍隊

c0051620_811850.jpg 「父と暮せば」「母と暮せば」と並ぶ、こまつ座「戦後"命"の三部作」のひとつ、沖縄戦をテーマとした「木の上の軍隊」が新宿にある「紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA」で上演されるという耳よりな情報を入手しました。これはぜひ見たい。山ノ神を誘ったのですが、彼女は以前に見たことがあるとのことでパス。一人で、見てきました。

 パンフレットによると、2010年4月に他界した劇作家・井上ひさしが亡くなる直前まで執筆しようとしていたのが本作だったそうです。戦争時、沖縄県・伊江島で、戦争が終わったのを知らぬまま、2年もの間、ガジュマルの木の上で生活をした2人の日本兵がいたという実話に基づいています。しかし井上の急逝により、この舞台はその初日を迎えることはありませんでした。そこで若手作家の蓬莱竜太が新たな戯曲を書き下ろし、井上ひさしがもっとも信頼を寄せた栗山民也が演出を手掛けるという、井上に捧げるオマージュとして完成したのが本作です。井上麻矢氏はこう述べられています。
 井上ひさしは戦争で日常を奪われた一人ひとりの物語を書きたいと言った。
 それらの人のかけがえのない人生を書くことが、自分が作家になった意味だと、60歳にして初めて分かったと言った。より沢山の人達のかけがえのない人生の物語を紡ぎたかったのだろう。
 本土出身の上官を演じるのが山西惇、伊江島出身の新兵を演じるのが松下洸平、語る女(ガジュマルの精霊)を演じるのが普天間かおり、ビオラで舞台音楽を奏でるのが有働皆美です。
 まずはあらすじを紹介しましょう。
 沖縄・伊江島。米軍と激しい戦闘の末、壊滅的な状況に陥った日本軍。ベテラン兵士の上官と伊江島出身の若い志願兵は敵の激しい攻撃のなか、命からがら、ある森の中の大きなガジュマルの木の上に逃げ込んだ。枝が太く、葉が生い茂るそのガジュマルの木は絶好の隠れ場所だった。木の下に広がる仲間の死体、日に日に広がって行く遠くの敵軍陣地。連絡手段もないまま、援軍が来るまで耐え凌ごうと、2人は木の上で待ち続けた。やがて食料もつき、心労も重なった時、2人の意見は対立し始める…
 舞台装置は巨大なガジュマルの樹。上り下りしやすいように斜めになっていますが、本物と見紛うような見事な出来栄えでした。その樹上に逃げ隠れているのがふたりの兵士、本土と沖縄を擬人化した上官と新兵です。軍国主義の権化のような上官、彼に絶対服従しながらも飄々とマイペースを貫く新兵。両者の対比を、山西・松下両氏がコミカルに演じていました。やがて飢えに苛まれ、アメリカ軍の残した食料を食べようとする新兵。しかし上官は、敵国の食糧を食べることを許さず彼を恫喝します。
 しかし日本の敗戦に薄々気づいた上官は、米軍の食料を食べて太るは、小銃の手入れを怠って錆びつかせるは、緊張感を失ってすっかり弛緩してしまいます。しかし降伏をしようとはしない。何のために戦っているのかを深く考えようとせず、思考停止状態となります。ガジュマルの精霊のナレーションが痛烈です。
 考えるのをやめた。そして言葉を失った。
 その一方で米軍の野営地はどんどん拡張され、軍事基地へと変貌していきます。大切な故郷を米軍から取り戻すために戦い続けようとする新兵。しかし上官は、安逸で宙ぶらりんな日々に満足し、伊江島を取り戻すために戦おうとしません。もちろん日本の援軍が来る気配もありません。絶望する新兵。彼の哀切きわまる言葉が心に残ります。
 どんどん大きくなってませんか、野営地が。

 だから一生懸命思い出すんです。あれがなかった時の景色を。

 守られているものに怯え、怯えながら…すがり、すがりながら、憎み…憎みながら、信じるんです…もう、ぐちゃぐちゃなんです。
 結局、本土は沖縄をまもってくれなかった。いやそれどころか、沖縄を米軍の戦利品として献上し、自分だけ生き永らえようとする。新兵が病気になったため二人はガジュマルから降りて投降しますが、その後、二人の再会はありませんでした。
そして衝撃のラストシーン、ガジュマルが二人を乗せたまませり上がり、ほぼ直立します。客席を睥睨するガジュマルと二人の兵士。まるで、あなたがたが忘れても、無関心でいても、見て見ぬふりをしても、私たちは見ていると言わんばかりに。
 ガジュマルの精霊が静かに琉歌を唄い始めると、それを掻き消すかのように轟く軍用機(オスプレイでしょうか)の爆音。恐怖心さえ覚えるような、今の沖縄人を脅かすその凄まじい音が、私たちを現実へと引き戻します。

 素晴らしいお芝居でした。ガジュマルの上を縦横無尽に動きまわり、沖縄と本土の関係を見事な演技で演じ切った山西惇と松下洸平の両氏に、心からの拍手を贈ります。ひさしぶりにスタンディング・オベーションをしてしまいました。
 そしていま、沖縄をふたたび犠牲にして辺野古での新基地建設を強行している安倍政権に、瞋恚の焔が燃え上がります。沖縄、福島、水俣、四日市、アイヌ、在日コリアン、ワーキング・プア、女性、子ども、誰かを、どこかを犠牲にしないと立ちゆかないこの国って、いったい何なのでしょうね。

 追記です。最近、与那国島や宮古島などに自衛隊を配備する動きが活発となっています。日本の多くのメディアの論調は、「海洋進出する中国への牽制」というロジックで自衛隊の南西シフトを報道していますが、どうも眉唾ものですね。『週刊金曜日』(№1233 19.5.24)の「自衛隊の「南西シフト」三つのポイント」 (本誌取材班)という記事で、その正体が見えてきました。
 まずアメリカの対中国戦略は、中国の弱点である輸出依存経済に着目し、いつでも中国のコンテナ船の運航を止めさせ、遠距離経済封鎖することができる誇示し、「現行の(米国の作り出した)国際秩序に従え」と中国を威圧するものです。言い換えれば、中国の「海洋進出」に米日が「対応」しているのではなく、逆に米日の「威圧」戦略が先行して存在し、それに中国が「対応」するかたちで軍事増強を進めている構図として理解すべきだと本誌は指摘しています。
 当然ながら、中国も黙ってはいません。経済封鎖網を「突破」可能にするべく、東シナ海沿岸における軍事配備を強化します。すでに、中国は地対地ミサイル等を多数配備していますが、このミサイルのターゲットは、中国への「威圧」のために南西諸島に配備された自衛隊の地対艦ミサイル等とされています。これに対し自衛隊の側も、こういった中国の「対応」を口実に、「島嶼防衛」を名目にしながら、実際には「経済封鎖可能な軍事配備」を維持するための配備を強大化していくことしょう。こうして「いつでも経済封鎖は可能だぞ」対「そんな経済封鎖など突破できるぞ」という対立構図のもとで、軍事緊張は常態化していきます。(p.25~7)
 また沖縄を犠牲にして、9条改憲、軍事費増額、排外的ナショナリズムの煽動、そして安倍政権支持率の上昇を目論んでいるのかもしれません。やれやれ、あのガジュマルの木と二人の兵士は、どのような思いでこの状況を見つめているのでしょうか。
by sabasaba13 | 2019-06-01 08:11 | 演劇 | Comments(0)