2019年 06月 08日 ( 1 )

『誰がために憲法はある』

c0051620_2201217.jpg 安倍晋三上等兵内閣が、いまだに改憲を獅子吼しておられます。安保法制によって、日本を戦争ができる国にしたのに、憲法を変えてさらに何を望むのでしょう。いやいや、まだまだ変えたいことが仰山ありそうです。自民党の改憲案については、内田樹氏が『街場の憂国論』(晶文社)の中で、鋭く分析されているのでよろしければご一読ください。要するに「強きを助け弱きを挫く」国を目指しているようです。これだけ多くの方々が、この内閣を支持するか、無関心か、無知でいる以上、実現するかもしれませんね。やれやれ… sigh…
 そうした中、日本国憲法を真っ向から取り上げた映画が上映されていることを知りました。井上淳一監督による『誰がために憲法はある』という映画です。これは見にいかなくては、山ノ神を誘って、ポレポレ東中野に行ってきました。余談ですが、この映画館は、地下に降りる階段の壁に映画のチラシがたくさん置いてあり、面白そうな映画の情報が得られるのも楽しみの一つです。今回いただいたチラシは、朝鮮学校を取り上げた『アイたちの学校』、東京裁判をテーマとした小林正樹監督によるドキュメンタリー映画『東京裁判』、巨匠フレテリック・ワイズマンによる『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』です。なおこの映画のチラシに「映画には、リチャード・ドーキンス博士、エルヴィス・コステロやパティ・スミスなど著名人も多数登場するが…」という一文がありましたが、リチャード・ドーキンス、どこかで聞いたことがあるなあ。…(沈思黙考)…はた(膝を打った音)、今回、地下鉄の友として持参した『サイコパスの真実』(原田隆之 ちくま新書1324)の中に、次の文相がありました。
 イギリスの進化動物学者リチャード・ドーキンスは、有名な『利己的な遺伝子』のなかで、進化のプロセスは、自己複製を最大の目的とする遺伝子が、その複製と存続に最も有利で利己的な方略を取ってきたものだと主張する。より正しくは、結果としてその遺伝子が存続しているということは、その方略が存続に適していたからだと言うべきだろう。(p.232)
 だから読書はやめられない。知のネットワークがつながる快感を与えてくれます。それはさておき、館内はほぼ満席、しかしいつものように若い方の姿はあまり見られません。
 まずは公式サイトから、紹介文を引用しましょう。
 井上ひさし、永六輔、立川談志も絶賛した、日本国憲法を擬人化した一人語り「憲法くん」を名優・渡辺美佐子が魂を込めて演じる!
 「ホントですか? わたしがリストラされるかもって話」
 「憲法くん」とは、井上ひさし、永六輔、立川談志も絶賛したお笑い芸人・松元ヒロが20年以上、日本国憲法の大切さを伝えるためユーモラスに演じ続けている一人語りである。「憲法くん」はこう言う。「わたしというのは、戦争が終わった後、こんなに恐ろしくて悲しいことは、二度とあってはならない、という思いから生まれた、理想だったのではありませんか」。そして、「わたしの初心、わたしの魂は、憲法の前文に書かれています」と憲法前文を一気に暗唱する。憲法に対する深い愛と洞察が込められたこの「憲法くん」を語るのは、「戦争を知る世代として、再び戦争の悲劇がこの国に起こらないように、この役を魂を込めて演じました」という、今年87歳になる名優・渡辺美佐子。文字で読む憲法と違い、本作で朗読される日本国憲法前文は、心の奥深くに突き刺さる。

 初恋を胸に語り継いだ 8 月 6 日。原爆朗読劇の全国巡演を続けてきた女優陣たちが語る戦後、そして未来へ託す思いとは-
 渡辺は初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くしたことを戦後35年目の1980年になって知った。彼の死を知った渡辺は中心メンバーとなり、現在まで33年間、鎮魂の想いを込めてベテラン女優たちと原爆朗読劇の公演を続け全国各地を回っている。しかし、その朗読劇は今年で幕を閉じる。本作では渡辺をはじめ、女優たちがこの活動を通じて抱くそれぞれの思いを映し出す。監督は『大地を受け継ぐ』(15)で原発事故により汚染された土地で農作物を作り続ける農家と、そこを訪れる学生たちの姿を真摯に見つめたドキュメンタリーを手掛けた井上淳一。同作でもタッグを組んだ弁護士の馬奈木厳太郎とともに、「憲法とは何か? なぜできたのか?」という原点を見つめ直すことができる作品を完成させた。子どもから大人まですべての人が日本国憲法について考えるきっかけを与えてくれる必見のドキュメンタリー!
 映画の冒頭は、女優・渡辺美佐子が「憲法くん」を演じる一人芝居で始まります。「70年間、わりとヒマでした」という一言は、バールのようなもので後頭部を殴られたような衝撃でした。護憲の立場からそれなりに尽力してきたつもりでしたが、その理念を実現するためにあなたは何をしましたか、と憲法くんに問責された思いです。
 そして日本国憲法前文の朗読が続きます。齢87歳の彼女は、これを暗記したそうです。さまざまな思いを込めながら、凛として語られるその言葉の力強く美しいこと。ちょっと胸が熱くなりました。誠実に真摯に論理的に語られる言葉の力というものに、あらためて感じ入りました。それに比べて、事実を誤魔化すため、責任を逃れるため、あるいは自分を良く見せるために安倍上等兵が紡ぎ出す言葉の、何と浮薄で浅薄で軽薄なことよ。『「安倍晋三」大研究』(望月衣塑子 KKベストセラーズ)に下記の一文がありましたので紹介します。
【浜田(※衆議院予算委員会)委員長】 総理、済みません、簡潔に願います。
 しかし、安倍首相は諦めない。
【安倍内閣総理大臣】 簡潔に申し上げますと、結果を出す上においては、まさに議論をしていく上においてだんだんこれが収れんしていくという中における一つの考え方として申し上げたところでございます。どうかその点を御理解いただきたい、こう思うところでございます。(2017年5月8日 衆議院予算委員会より)

 「さあ、いよいよ結論を言うのか」と思いきや、まったく関係ないことを、とにかくダラダラと話し始める。時間を使って相手を煙に巻く、ダラダラ話法だ。ちなみにこの答弁のなかで、「いわば」6回、「そこで」6回(中継では8回)、「まさに」5回(中継では6回)、「中において」2回が使われた。安倍首相が多用するこれらの言葉について、歴代首相の演説を研究してきた東照二氏(社会言語学)はこう分析している。
 「(安倍首相は)『まさに』や『つまり』といった言葉を使っている。これらの言葉は、同じ意味を繰り返したり、別の表現に言い換えたりする表現です。おそらく同じ意味を別の表現にしてはぐらかそう、自分を良く見せようとしているのではないか」(2018年6月2日 日刊ゲンダイ) (p.138)
 言葉の持つ力への敬意を一片も持ち得ないこの御仁が憲法を変えようとしているのかと想像するだけで、肌に粟が生じます。
 そして彼女が中心メンバーとなり、ベテラン女優たちと33年にもわたり続けてきた原爆朗読劇の様子が紹介されます。しかしその朗読劇も、2019年で幕を閉じることになりました。「言いたいことを言うと“左”と言われる」「もっと政治に関心を持って欲しい」「学校に招かれなくなった」といった女優たちの発言に、昨今の社会状況に対する苦渋の思いが滲みます。
 彼女がこの朗読劇を始めるきっかけとなったエピソードも紹介されます。小学生のころ、ほのかな恋心を抱いてた少年が、疎開先の広島で被曝して亡くなったのですね。彼と出会った思い出の地を歩き、そして広島平和記念公園を訪れて慰霊碑に刻まれた彼の名を指でなぞる姿が写されます。
 最後にふたたび日本国憲法前文を、渡辺美佐子が力強く朗読して、映画は幕を閉じます。

 プログラムに井上淳一監督のステイトメントが掲載されていたので紹介します。
 憲法くんは言う。「わたしと言うのは、戦争が終わったあと、こんなに恐ろしくて悲しいことは、二度とあってはならない、という思いから生まれた、理想だったのではありませんか」と。その理想がするりと掌からすべり落ちてしまいそうないま、表現にかかわる者の端くれとして、何もしなくてもいいのか。そういうやむにやまれぬ思いから、この映画を作った。元号が変わり、現行憲法最後の憲法記念日になるかもしれない日に、憲法に関する映画が一本も上映されていない国で、僕は映画に関わり続けることはできない。
 憲法は誰のためにあるのか。憲法は誰のために生まれたのか。その「誰」には、生者のみならず、戦争の犠牲になった死者たちも含まれるはずだ。いまはただ、ひとりでも多くの届かない「誰」かに届くことを願うのみである。
 嬉しいことに、終了後、井上監督が壇上に現われてお話をしてくれました。チェ・ゲバラをプリントしたTシャツが印象的です。そういえば、来日した際に、ゲバラも広島平和記念公園を訪れたことを思い出しました。
 話の中で『あたらしい憲法草案のはなし』(太郎次郎社エディタス)という本を紹介してくれました。1947年に文部省が中学生向けにつくった教科書『あたらしい憲法のはなし』と同じ体裁で、自民党による改憲草案の危険な内容を分かりやすく解説したいるそうです。はじめは、この本をもとに映画を作ろうとしたのですが、本気で支持しそうな人がいそうなので止めたそうです。また、沖縄と日本の加害行為を描けなかったことが失敗だったという言葉が心に残りました。
 終了後、プログラムにサインをしてもらい、「次回作を楽しみにしています」と言うと、両手で私の両手をしっかりと握って微笑んでくれました。腰の低さと、物言いの柔らかさが印象的な、素敵な方です。

 なお本作のプログラムは、たいへん充実した内容でした。中でも製作者にして弁護士の馬奈木厳太郎氏のコメントには、教えられることが多々ありました。「憲法についてQ&A」から二つほど引用します。
Q4 9条の平和主義はあまりに理想主義的なのではないでしょうか。もし、攻めてこられたら、そのときはどう対応するのですか?

 いきなり肩すかしのようなことを申し上げるので、「回答になってない」とお叱りを受けるかもしれませんが、憲法に則って答えようとすると、憲法の平和主義は、「もし攻めてこられたら」という状況が起きないことを目指しているのであって、攻めてこられたときにどうするのか、という土俵(枠組み)には立たないことを明らかにしている憲法です。言い方を変えれば、この質問そのものが、日本国憲法の枠外からのものだということになります。
 そもそも、「もし攻めてこられたら」という設定は、いくつかの前提を無視しています。
 まず、国家と国家の間での戦争というのは、ある日突然始まるものではありません。ある国が戦争という手段に打って出るのには、そうなった何らかの理由と経緯があるはずです。実際、戦争を始めようとしても、戦争をすると意思決定をしてから、作戦を立案し、兵站を整え、部隊を派遣し、関係諸国に通告し、そうやって準備を整えて、ようやく始まるものですし、戦争をすると決める前には、二国間の交渉や、第三国や国際機関も交えた協議といった外交があって、そうした経過のなかで、なんらかの理由から戦争やむなしとなるわけで、こうした時間や理由を無視して、ただ単に「もし」を設定するのは、あまりにも非現実的です。
 また、この質問は「攻めて」くることを所与のものとしているわけですが、通常、「攻める」のには何らかの目的があるわけで、こうした目的を特定したり明確にしないまま、単に「攻める」ことが起きてしまうことを想定するのも、ナンセンスだと言わざるを得ません。資源もなく、国土も狭く、労働力もそれほど多くない日本に対して、いったい何を目的として「攻める」ということになるのでしょう。技術ということが目的だとしても、そうであれば、戦争ではなく友好的な関係を作った方が、よほど意味があるはずです。おそらく、考えられる唯一の理由は、米軍基地が日本にあるから、その米軍基地を叩くために攻撃するというものでしょうか。しかし、「もし攻めてこられたら」という設定を好む人は、日本にある米軍基地が攻撃を誘引する存在となっていることは認めたがらないでしょう。このように、「もし攻めてこられたら」という質問の土俵に乗ってしまうことは、憲法の平和主義とは異質の土俵に立つことを意味しているのです。(p.11)

Q5 日本の周辺には、日本に対して友好的ではない国々もあって、脅威に感じられます。憲法を変えて、脅威に対抗することも必要なのではないでしょうか。

 確かに、これだけ隣国の国々と友好的な関係を作れていない国も珍しいと思います。ただ、友好的な関係を作れていないのは、あくまでも政府間の話だということに注意する必要があります。しばしば、「反日デモ」が行われたとニュースなどで言われることがありますが、あの「反日」の「日」というのは誰のことなのでしょうか? 例えば、憲法9条を守らせようとか、安保関連法に反対しようと言っているような方が、あの「日」には含まれているのでしょうか? 私にはそうは思えません。国と国の話になると、急に「オールジャパン」対「オール〇〇」のような二項対立が作られますが、日本のなかも他の国も、そんなに一枚岩なわけではありません。むしろこうした二項対立的な構図は、過度なナショナリズムを煽ることにもつながりかねません。(p.12)
 極めつけは、井上淳一監督および赤坂真理氏(作家)との鼎談の中での下記のコメントです。
 今の話を聞いても、監督はすごく真面目な人だな、と思います。僕はもう少し醒めていて、変えられることはもちろん大変なことだとは思いますけど、憲法の条文がどうであるかより、国民の意識がどうであるかの方が重要だと思っています。だって、9条を持っている国でも戦争に参加するし、イラクに自衛隊出すわけでしょ。他方で、軍隊持っている国でもこれは間違った戦争だって考えれば、出さないわけじゃないですか。あるいは25条の生存権で、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとか言っておきながら、今のような状況があったり、男女平等だとか言っておきながら全然そうではなかったりするわけですよ。だから、いかにも改憲されるとこの世の終わりみたいな、そういったのはある種の憲法フェティシズムみたいな話だと思っていて、それもどうかなと思う。要するに負けたと思うでしょ、変えられてしまった時に。でも、やっぱりそうした話じゃないと思う。むしろ、条文がどうとか言うより、自分たちがどういう意識でどういう国でありたいかということの方がよっぽど重要で、それが“生ける法”というか“生ける憲法”になる。憲法とはそういうものだと思っているので、条文に寄りかかるのはあまり好きではないですね。(p.18~9)
 憲法の理念や理想を蹂躙するような政策が平然と行われ、その政権を国民が支持している状態は、事実上の改憲がなされているということですね。第25条との絡みで言えば、『週刊金曜日』(№1233 19.5.24)に次のような記事がありました。
「権利」としての法制化を日弁連が提起 生活保護から「生活保障」へ (片岡伸行)
 生活保護利用者は現在、約210万人(約163万5000世帯)いるが、それは本来受け取る権利のある人の15%か16%。多く見積もって2割程度だとされる。欧米ではその捕捉率が50%あり、ドイツは70%以上、英国は80%を超えているという。その名称も「連帯所得」(フランス)、「基礎生活保障」(韓国)などで、国から恩恵や施しを受けているような印象を与える「保護」の語を使用している国はないとされる。
 しかも、安倍政権になって生活保護費の切り下げが続く。2013年、14年、15年に続き、18年10月から3年間かけて生活保護費が段階的に引き下げられる。「人間の尊厳と命を削るものだ」として全国で訴訟が提起されている。(p.9)
 こういう状況を放置する、こういう状況をつくりだした政権を支持する、国民の意識って一体何なのですかね。あらためて、憲法を護る、憲法を生かす、そして憲法を蔑ろにする輩に鉄槌を下す、そういう意識を持ち続けていきたいと思います。馬奈木さん、いろいろとご教示をありがとうございました。勉強になりました。

 帰りに「十番」でタンメンを食べようとしましたがお休みでした。「タラキッチン」でカレーを食べようと足を向けると「パーム・ツリー」というお店があったので新規開拓、ボンゴレをいただきましたが、特記事項はなしです。そして「ル・ジャルダン・ゴロワ」でタルトの詰め合わせを購入して帰宅しました。
by sabasaba13 | 2019-06-08 06:23 | 映画 | Comments(0)