2019年 06月 10日 ( 1 )

『ニューヨーク公共図書館』

c0051620_13304733.jpg 小学生・中学生の頃は、ほんとに暇で時間を持て余していました。1960年代後半から1970年代前半ですので、スマートフォンはもちろん、コンビニエンス・ストアもカラオケもテレビ・ゲームもありません。テレビは一台しかないので自由に見ることは出来ず、小遣いも少ないので漫画もふんだんには買えません。そんな私を温かく迎えてくれたのが図書館でした。入館は無料、静謐な雰囲気のなか、司書の方に相談しながら書架の間を彷徨してさまざまな本や図鑑や写真集を渉猟した思い出があります。見たこともない動植物、聞いたこともない物語、行ってみたい国や地域、世界はこれほどにも豊かなのかと驚きました。私の数少ない取り柄のひとつ、無駄な知的好奇心を育んでくれた図書館、ほんとうに感謝しております。今でも旅をして古い図書館に出会うと、さすがに頬ずりや抱擁はできないので、写真におさめています。
 わが愛する図書館をテーマとしたドキュメンタリー映画が、岩波ホールで上映されているという耳よりな情報を得ました。巨匠フレデリック・ワイズマンによる『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』という映画です。さっそく山ノ神を誘って、いっしょに見にいってきました。

 まずは公式サイトから、本作の紹介文を転記します。
 世界中の図書館員の憧れの的であり、ニューヨーク有数の観光スポット。本作の主役は、荘厳な19世紀初頭のボザール様式の建築で知られる本館と92の分館からなる世界最大級の<知の殿堂>ニューヨーク公共図書館だ。この図書館は、作家サマセット・モーム、ノーマン・メイラー、トム・ウルフ、画家アンディ・ウォーホルなど文学、芸術などの分野でも多くの人材を育ててきた。またここは世界有数のコレクションを誇りながら、“敷居の低さ”も世界一と言えるほど、ニューヨーク市民の生活に密着した存在でもある。その活動は、「これが図書館の仕事!?」と私たちの固定観念を打ち壊し、驚かす。

 映画には、リチャード・ドーキンス博士、エルヴィス・コステロやパティ・スミスなど著名人も多数登場するが、カメラは図書館の内側の、観光客は決して立ち入れないSTAFF ONLYの舞台裏を見せていく。図書館の資料や活動に誇りと愛情をもって働く司書やボランティアたちの姿。舞台裏のハイライトともいえる何度も繰り返される幹部たちの会議―公民協働のこの図書館がいかに予算を確保するのか。いかにしてデジタル革命に適応していくのか。ベストセラーをとるか、残すべき本をとるのか。紙の本か電子本か。ホームレスの問題にいかに向き合うのか。その丁々発止の意見のやりとりは、目が離せない。
 205分という長尺で、BGMも流れず、司書の方々の働きぶりや図書館を訪れた人たちの様子、そして幹部たちの会議などを淡々とフィルムにおさめた、静かな、ほんとうに静かな映画です。でもなぜ心を惹きつけられるのでしょう。
 冒頭、〈午後の本 Books at Noon〉という企画に登場した進化生物学者のリチャード・ドーキンス博士が、来館者を前に講演をして、「キリスト教原理主義者は無知である」と一刀両断に切り捨てます。お恥ずかしい話ですが、最近読んだ『サイコパスの真実』(原田隆之 ちくま新書1324)の中で、彼の業績を知りました。
 イギリスの進化動物学者リチャード・ドーキンスは、有名な『利己的な遺伝子』のなかで、進化のプロセスは、自己複製を最大の目的とする遺伝子が、その複製と存続に最も有利で利己的な方略を取ってきたものだと主張する。より正しくは、結果としてその遺伝子が存続しているということは、その方略が存続に適していたからだと言うべきだろう。(p.232)
 また映画の中頃では、〈公共図書館ライブ〉に出演したエルヴィス・コステロが、「敵だからといって、認知症で死んでくれとは思わないが、サッチャーが国にしたことは許せない。民主主義だから言う。これが僕の考えだ」と聴衆を前に発言します。彼のアルバムは、メゾ・ソプラノ歌手のアンネ・ソフィー・フォン・オッターとのデュエット『フォー・ザ・スターズ』しか持っていないのですが、『Spike』というアルバム所収の「Tramp The Dirt Down」という曲で、彼女と新自由主義を痛烈に批判していたのですね。知りませんでした。
 俺は長生きしてやる/あんたが死んで土に埋められた時に/墓の上を踏みつけるために
 うーむ、日本の公共図書館でしたら、まずあり得ない企画ですね。おそらく幹部たちは「政治的中立」という錦の御旗を振りかざして、政治や社会への批判を圧殺してしまうでしょう。最近、こうした行政による圧力をよく耳にします。護憲集会を、市や教育委員会が後援しなくなったという内田樹氏の話を読んだことがあります。常々思うのですが、「政治的中立」という立場はあり得ません。それは現状維持の別名であり、現体制を支持し、社会や政治を変えないということを意味します。体制か、反体制か、そのどちらかを選ぶしかないのにね。日本の社会がなかなか良い方へ変わらない要因のひとつが、ここにあるのかもしれません。
 この二人を映画に登場させたワイズマン監督は、批判を通じてアメリカの政治と社会をより良い方向へ変える触媒となるのが図書館の役割だというメッセージを込めたような気がします。

 映画は、司書や館員による地域住民のためのいろいろなサービスも取り上げていました。就職支援プログラム、中国系住民のためのパソコン講座、視覚障がい者のための住宅手配サービス、地域住民のための読書会(なんと、ガルシア=マルケスを読んでいました)、シニアダンス教室などなど。そこまでやるか!と唸ってしまいました。その様子を見ていると、勤務評定のためではなく、心の底から困っている人に手を差し伸べたいという思いがびしびしと伝わってきました。地域の核となって人びとを結びつけるという図書館の役割には、無限の可能性がありそうです。
 中でも、ある方が言った「孤立させない」と言葉が印象的でした。最近読んだ『東京新聞』(2019.6.6夕刊)の「紙つぶて」というコラムで、埼玉大教授の平林紀子氏がこう書かれていました。
 「孤独感が米国の分断を招いている」というニューヨーク・タイムズ紙のコラムが昨秋話題を呼んだ。筆者の米国シンクタンク会長アーサー・ブルックス氏によると、最近の世論調査では米国人の過半数が日常的に孤独感に苦しみ、あるいは自分の存在意義を認めてくれる人間関係の欠如、「居場所のなさ」に悩み、こうした「社会的孤立感」が世代を追うごとに深刻化しているという。
 職場の人工知能(AI)導入やリストラが頻繁な転職や雇用の不安定化をもたらし、職場や近隣のコミュニティーは以前のように安定的で厚みのある人間関係を供給しなくなった。「帰属集団」のよりどころを失った人々は穴埋めとして、考え方が似た、「激しい怒り」や、異なる政治的立場への「敵意と排除」の感情を共有する者同士の「コミュニティーの幻影」をソーシャルメディア上に求める。最初は幻影でも、運動組織として実体化することもある。近年の政治的分断、人種民族憎悪犯罪の増加は、これと無関係ではない。
 孤独な米国人を救う処方箋は、どこでも隣人を作れ、人を支える「社会関係作りに投資せよ」だと同氏は言う。日本も少子高齢化で地域社会は変質し、外国人労働者やAIで職場環境も変わる。「人生百年時代」に必要なのは、老後資金だけでなく、最後まで人々が支え合い認め合う社会環境である。米国を他山の石としたい。
 現代社会の宿痾、「激しい怒り」や「敵意と排除」を解消するために、ニューヨーク公共図書館も動いているのかもしれません。

 そしてマークス館長を中心とする幹部たちの会議も、良い場面でした。議題は多岐にわたります。この図書館は財源の半分をニューヨーク市から、半分を民間の寄付から得ています。どうしたら市からの予算を増やせるか。館長は「政治家を戦略的に利用する」と述べ、「政治家には“週6日開館”といったシンプルな主張が受ける」と発言します。この視点は、ぜひ参考にしたいものです。他にも、IT設備の充実や、デジタル・インクルージョン(包摂)、若者をいかに図書館へ呼ぶか、ホームレス問題、蔵書を収集する際に、電子本か紙の本か、一般図書か研究図書か、どちらを重視するのか、情熱をもって真摯に議論をしているスタッフの姿が心に残りました。つい日本を引き合いに出してしまい恐縮ですが、日本の会議を映画にしてもまったく面白くないでしょうね。

 そして映画全体を通して印象的だったのが、館員のみなさんの働きぶりです。過労死寸前まで必死に働いて、リストラされず、仲間を蹴落としてすこしでも出世と昇給を掴み取ろうという姿はありません。それぞれが持ち場で、仲間と議論をし助け合いながら、地域住民を孤立させないため、街の文化を変えるため、さまざまなアイデアを鍛え上げて実現していく。ちょっと羨ましくなりました。

 最後の場面で、〈公共図書館ライブ〉に登場した陶芸家のエドムンド・デ・ワールが自作のノンフィクションを朗読します。
 創作の過程は省いてはならない。物の作り方が人を定義するのだ。
 この映画を象徴するような言葉ですね。そして司会者が「音楽は、あなたの人生と創作に欠かせませんね。この曲も」と結び、グレン・グールドが演奏する「ゴルトベルク変奏曲」が静かに流れて映画は幕を閉じました。テンポが速いので、おそらく旧盤ですね。それぞれの声部が独立しながらも、響き合ってひとつの音楽を紡ぐ、この映画にふさわしい幕切れでした。

 各所にちりばめられた「図書館は民主主義の柱」「図書館は雲の中の虹」「規則や専門機関を設けるのも大事だが、最終的に変えるべきはこの街の文化だ」「図書館は本の置き場ではない。図書館とは人」「かつて“未来に図書館は不要”と言われた。彼らは図書館の変化に気づいていない」という言葉とともに、末永く記憶に残る映画になるでしょう。
 なおタイトルの「エクス・リブリス(Ex Libris)」とは、「~の蔵書より」という意味で、本に所有者の名前を記すときに使われるラテン語だそうです。プログラムに載っていたワイズマン監督の言葉によると、この図書館で起きたすべての出来事を見せたわけではない、ということを示唆したそうです。

 余談です。汗牛充棟、蔵書が増えすぎて難儀していますが、最近は近くにある区立図書館に寄贈するようにしています。せめてもの恩返しです。
by sabasaba13 | 2019-06-10 08:13 | 映画 | Comments(0)